2013年2月13日水曜日

正直になってニコラ・フォルミケッティに聞いてみる。




 少なくても直接会うより前に僕が想像していたニコラ・フォルミケッティは生粋のファッション業界人だった。次々に真新しいスタイルを提案して世界の流行をけん引する、あの場所で生きる人。そんな人が日本のどこにでもいる若者にどんな話を聞かせてくれるのだろう。ない交ぜになった緊張感と高揚を隠してインタビューはスタート。しかし、終わってみれば質問をする側とされる側が入れ替わり、最後には悩み相談に応えてもらうなんて笑ってしまうような、あっという間の8分間でした。どうぞ肩肘を張らず気楽に読んでみてください!





どんどんどんどん、もっともっと 



―――よろしくお願いします。僕、個人でブログをやっているんですよ。

Nicola Formichettiニコラ・フォルミケッティ)/以下ニコラ:ブロガーやってるの? ブログの名前はなんていうの?

―――sirusareru faltusyonn.(記されるファッション。)って言います。

ニコラ:すごーい。真面目(笑)。

―――そうなんですよ、真面目なんです(笑)! いきなりなんですが、最近の日本のファッションってどうでしょうか?

ニコラ:なってないね。若い子がぜんぜん元気がないって思う。アジアの色んなところに行ったり、外国に住んでいたりするから余計にそれがわかるよ。そうすると、やっぱり区別しちゃうじゃん。中国とかさ、韓国とかインドネシアとかシンガポールとか台湾とかとね。昔に比べて東京の子たちはなんか元気がないよね。だから、僕もこういう(サイン会)ことをやって人と会って、なんでなんだろうって知りたいの。

―――かっこいい・かわいいのところはそうかもしれないですね。でも、最近ファッションについて文章を書いたりするっていうところが盛り上がっているんですよ。

ニコラ:あ、そう! それはどういう文章?

―――たとえば哲学者の思想をもとにブランドを分析してみたりだとか・・・。

ニコラ:へー、いいね。おもしろいね。

―――つまり、学校で勉強しているようなことを参考にしてファッションを見てみる、というような文章ですね。そういうことをやってる人たちがすごく多いんですよ!

ニコラ:僕はそうやって文章を書いている人だとかライターって、スタイリストとか写真家とかと一緒のように、クリエーションをまた別のミディアム(媒体)で表わしているアーティストだと思ってる。だから、そういう人たちがどんどんいなくちゃいけないと思うんだけど、あまりいないよね。

―――今日も電車代をいくらか払えば、レディー・ガガのスタイリストをやっている人に会いに来られるわけじゃないですか。もったいないなと思っちゃいます。

ニコラ:たぶん、みんな若い子たちは、もうこうやって会う必要がなくなってきてるからだと僕は思ってるわけ。 InstagramLikeしたから、それでOKって。それしか考えられない。だから、デジタルラブっていうかさ、デジタルコミュニケーションっていうのはファッションの死だよね。(インタビュアーの二の腕を掴む)こうやって触って感じるものは、やっぱり違うじゃん。3次元で見るものとフラットなスクリーンで見るものは。でも、それがどうのこうのとかじゃなくて、それはそうだからと納得してやっていかなくちゃいけないんだと思う。

―――本当ですか・・・。でも、さびしいですよね。

ニコラ:うん、さみしい。でも、そこの人たちは変わらないと思う。ただ、たとえば15歳とかのもっと若い子たちはアンチデジタルじゃん。で、向こうの人たちはもっとアナログに、デジタルの機材を使わずに書いたりっていう風になってたりするんだよ。君は日本ではどんなジャーナリストが好き?

―――うーん。

ニコラ:平川さん*1は知ってる?

―――知ってます。平川武治さんですよね。

ニコラ:そう。昔、僕が出たばっかりのとき平川さんにはすごく可愛がってもらっていてさ。「ニコラ来い!」みたいな感じで、いつもいっつも(笑)。でも平川さんはキツイことばかりを書くからファッション界から飛ばされちゃってるからね。本当のことを書くから。でも、それってすごく悲しいことだよね。

―――それが拾われないのはダメだと思います。

ニコラ:平川さんは新聞とか雑誌がだめだって言っちゃったわけね。広告を出してる人の悪口を言ったら広告がもらえなくなっちゃうから。でも、ブログは新しい雑誌だから、どんどんどんどん、もっともっとキツイことだとか、キツイことっていうか本物のことを言ってほしい。

―――お金がかからないところだからこそですよね。

ニコラでもさ、すぐだよ。わかんないけど、明日どっかの大きい会社からお金もらっちゃったら、その会社のことをよく書いちゃうでしょ?

―――・・・書いちゃいます。

ニコラそしたら、またみんなと変わらなくなっちゃうんだよね。だから、反対にブログはいま一番、簡単に安く買えるメディアだって言われてる。そういう人たちもいっぱい出てきてるからこそ、そこはうまく進んでいかなきゃいけない。

―――その通りです。

ニコラ:これから何をしたいの?

―――僕、就職活動をしようとも思ってるんです。

ニコラ:うん。このライターっていうのが一番やっていけない仕事だからね。僕のまわりにもライターとかジャーナリストの友達はいっぱいいるけど、一番大変な暮らしをしてる人たち。一番。 だって目に見えないじゃん、写真でもないし。

―――そうなんです。編集者ばかりが目立って実際に書いてるのは誰なんだろうってなっちゃうから。

ニコラ:そう。ただ、これからウェブが進んでいったら絶対に新しい仕事が出てくると思うけどね。まぁ、どうやっていくかは・・・・・・自分で決めてください(笑)! アッハッハッ!

―――はい(笑)! どうも、ありがとうございました!

ニコラ:ありがとう。





  1. 平川武治:ひらかわたけじ・・・ファッション批評家。1978年からモードの世界へ。1984年からパリコレクションを見続け、海外の美術大学や企業などが主催するコンテストの審査や、企画展のキュレーションに携わる。「ファッションとは自由の産物であり、時代の最表層である。良いクリエーションは良いビジネスを生む」という視点に立ち、率直かつ辛口な評論活動を行う。


プロフィール

Nicola Formichettiニコラ・フォルミケッティ):1977531日生まれ。静岡県沼津市出身。イタリア人の父と日本人の母を持つファッションデザイナー・ファッションディレクター。ミュグレー(MUGLER)クリエイティブディレクター、レディー・ガガ(LADY GAGA)のスタイリスト、VOGUE HOMME JAPAN』、『V MAGAZINEファッションディレクター、UNIQLOファッションディレクターを務めている。











2012年7月26日木曜日

日々の感情に寄り添いながら――結インタビュー




 フィリップ・K・ディックが1975年に著したSF小説『流れよ我が涙、と警官は言った』の登場人物ジェイスン・タヴァナーが直面したのは、自分が社会から抹消されているという事件だった。彼は存在の証明を取りもどすために東奔西走するわけだが、これはあくまでもフィクションの話。

 実際に現代を生きる僕たちの災難とは共有された認識の中に身をおきつつ何者かでなければならないという倒錯した不安にあるのではないだろうか。Twitterのアイコンから履歴書の志望欄まで、生き方を選ぶとは自分をいかに演出するかと密に関係している。あなたを担保する書類上の地位が社会の基盤をなすからだ。

 御法川修監督『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』高橋泉監督『あたしは世界なんかじゃないから』園子温監督『希望の国』入江悠監督『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』と次々に出演を果たしているモデルの結さん。役者や2.5Dアニメ部のMCといった仕事のジャンルを越えて活動する彼女は恣意的に演じること/ふるまうこと/装うことについて何を考えているのか。過去から将来への展望を交えながら話を伺った。



悩みから始まる 

  




―――学生時代の事から伺っていこうと思います。日本大学芸術学部の映画学科を卒業されてるんですね。

 :そうです。映画学科の脚本コースで主に映画を撮っていました。それとは別に18歳の頃から学校に通いつつモデルの仕事をしていて。

―――じゃあ映画に出ることはあまりなかったんですか?

 :全然! 一回おばけ役で出演したことはあるんだけど、それ以外はぜんぶ断ってた。単純に芝居に興味がなかったし誘われることもなかったのが大きいかな。学部内にちゃんと演技コースが存在していて役者さんの卵みたいな子がいっぱいいたから・・・・。

―――特にやる必要もないかなと。

 :うん、そう。

―――モデルとか役者に興味を持ちだしたのはいつぐらいなんですか?

 :中学生の頃からファッションモデルも含めてモデルが好きだったの。街中を歩いているとスカウトしてくれる人がいるでしょ。その中ですごく信頼できる人と出会って、この業界が身近になった感じかなぁ。ただ、中高が厳しくて卒業するまで芸能活動が出来なかったんだよね。

―――やっちゃいけない規則というか。卒業した時は声をかけてもらってやり始めたんでしょうか?

 :いや、卒業して声をかけてくれた人を訪ねたら、その人がモデルには関係ない事務所に行っちゃってて。じゃあ事務所を探そうと思ってオーディション雑誌の中から好きなモデルがいる所に応募して始めました。

―――落ちる人もいますよね?

 :十通ぐらい送って、予想以上に落ちたんだよね。厳しい世界なんだなって初めて思った(笑)。今から考えると最初の頃はうまくいかない現実すらも、よく分かってなかったっていうか。なんでうまくいかないのかな、みたいなのもうまく分かってなかったから。

―――掴めないままやられていたんですね。

 :何のせいにしていいかわからなかった。何を変えればうまくいくんだろうっていう。たとえば事務所を変えたらうまくいくのかなとか、もっと良いアーティスト写真を撮ればうまくいくのかとか。でも、思いつくことで出来ることは全部やっているはずなのに、どうしてうまくいかないんだろうって悩んだ時期は長くあった。



衝撃的だった群青いろの作品 

 

―――そんな中で卒業されて初めて出演した映画が廣末哲万監督の『FIT』*1ですよね。東京国際映画祭で上映されるなど注目を浴びた作品でしたが、出演が決まって驚かれましたか?


 :そもそも、なんで映画学科に入っちゃったかっていうと、本当は私、小説家になりたかったんです。同じ学内に文芸学科っていうのがあって、そこを第一志望にしてたんだけど、日芸の受験スタイルって科目数が少なくて、英語と国語と二次試験の創作みたいなのだけだったから他の大学と併せて受けるって厳しかったんだよね。それで、これはマズいと思って映画学科も受けたら、すごく倍率が高かったんだけど合格して。少し調子に乗って文芸学科の方は落ちちゃったの(笑)。

―――なるほど(笑)!

 :物を書くっていう点で脚本コースが近いだろうと思って入ったんだけど、人に指示を出しながら作品を監督することが向いてなくて胃が痛くなっちゃったりしてた。落ち込んでいた時に、サークルのぜんぜん話したことがなかった先輩が「結ちゃん、廣末さんと高橋泉さん(群青いろ*2)の映画が好きだと思うよ」って言ってくれて。見に行ってみたら衝撃的な映画で「ああ、私映画愛せた」って思えたの(笑)。初めて心の底から嘘偽りなく好きだって言える映画をみつけて、トークショーとかにもめちゃくちゃ通ってたんだよね。

―――それはお金を払っていくようなもの?

 :そうだね。ぴあ出身の監督だったから、ぴあのイベントが多くて通っていたら監督が覚えてくださってて。ある日、シブヤ大学っていう・・・・。

―――分かります。キャンパスはないけど授業をやるみたいな。

 :そうそう、ワークショップみたいな。それを彼らがやることになった時に私も行ったら、「いつも来てくれてますよね」って声をかけてくれたの。そういうとこに義理堅い方達で「なんかあの人いつも来てくれてるし、僕らの事をたぶん本当に好きなんだろう」って印象を持ってくれたんじゃないかな。それは新作の映画のスタッフを募集するっていう企画だったんだけど、私が受かって照明持ったりとか、スクリプト書いたりとかで参加させてもらった。

―――じゃあ裏方的な役回りをされてたんですね。

 :ぜんぜん役に立たなかったんだけどね(笑)! それでも作品に関われて嬉かった。その時に廣末さんから「次回出ますか?」って言われて、「はい」って即答してしまって。とにかく関わり方としてどういう方法があるかを考えた時に役者として関われるんだったら関わってみたいって、そういう思いからの行動だった気がする。




―――その後『FIT』はベルリン国際映画祭ですとか香港国際映画祭に回ったんですけど。初めて出演されたことがきっかけで他の映画にも出るようになったんですか?

 :その後に高橋泉さんが『あたしは世界なんかじゃないから』っていう映画を撮ることが決まってて。私も出ることになっていたんだけど、その役がほとんど私自身だったの。撮影が2011年の今ぐらいの時期、6月ぐらいにあって。それがちょうど終わりかけの時に私このままだとまずいと思って。本当に2年間それだけを楽しみに生きてきたから今後、特に生きる予定がない!みたいな(笑)。

―――まだ20代半ばにして(笑)。

 :いやでも、それぐらい思いが強くて。その作品をやってる中で自分ってもっとこうだったらいいなとか、自分の力不足みたいなのを感じたこともあって外に出ようと決めたんです。次、彼らの作品に出る時にもっと成長していけたらっていう思いと、彼らから与えてもらうばっかりじゃなくて「こんなすごいの撮ってきたんですよ」とか、「こんな面白い作品に出たんですよ」って伝えたいって。それで動き始めて初っ端に『こっぴどい猫』っていう映画に出て、その後『サイタマノラッパー』。園子温の『希望の国』っていう今年の9月公開のやつとか、あと23本ぐらいっていう感じ。でも入江さんにせよ、園子温さんにせよ、すごく仕事をしたかった人だから幸せなことだなと思って。

―――良いことですよね。

 :でも群青いろの作品があまりにも好きだから、彼らに「こんなの撮ってきたんですよ」って言える作品がなかなか作れないっていう葛藤があった時期があったのね。その気持ちをそのまま話したら、一個一個、真剣に向き合って、その都度、誰かとコミットしてやっていけば良いんじゃないかなっていう話をされて。その通りだって思っちゃって(笑)。

―――納得しちゃって(笑)。

 :そう。だから今までは自分の好きな作品にばっかり出てたけど、すごく若い子向けの映画とか自分が見たことがなかった映画の類も、現場の人たちと協力して100%やれたら何か新しいことがあるのかなと思って。前まではより好んでたんだけど、それよりも100やることが大事なんだなと今は思う。


1FIT』・・・2010年に東京国際映画祭にて発表された群青いろの作品。廣末哲万が2年がかりで完成させた、狂熱のヒューマンドラマ(公式サイトより)。
2群青いろ・・・高橋泉(たかはし いずみ)と廣末哲万(ひろすえ ひろまさ)が2001年に結成した映像ユニット。インディペンデントな映画を撮り続けている。


絵のモデルとして山本耀司に出会う 


―――今、モデルとして活動をされてるのは役者と比べてどれぐらいの量なんでしょうか?

 :半々ぐらいですね。

―――学生の時に比べれば段々減ってきているのですか? 

 :いや、減ってはないんですよ。役者の仕事が増えてきたから、それに追いついてる感じかなぁ。ファッションの仕事は出てる雑誌の年齢とかは変わってきてるけど、あんまり変わらないはず。

―――事務所の意思とかではなく、自分の意思で?

 :2年前に芝居のことを応援してくれる所が欲しいなって思って今の事務所*3へ移籍したんだ。特にバックアップしてくれるとか、芝居に対してマネジメントして欲しいっていうよりかは応援してくれる所がいいなと。この事務所は変わってて、役者をやってるのは私だけなんだけど、どの人もアーティスト活動をリンクさせようとしてるの。アパレルやってる自分とモデルやってる自分を繋げようとか、音楽やってる自分とモデルやってる自分をとか。違うジャンルだけど惹かれる人がすごく多くかったから移籍したんです。




―――山本耀司さんとのお仕事のきっかけは?

 :とにかく耀司さんとずっと仕事がしたくて。プレスの人から事務所にアートに興味があってそういう活動をしている子を探してるって話があって、絵のモデルの依頼が来たの。私そういうのは一回もやったことがなかったんだけど。

―――絵を描くモデルというと?

 :美術モデルみたいなものを想像してもらえば。絵のモデルなんて初めてで勝手は何も分からなかったけど、一緒に仕事ができる機会を逃してなるものかと思って。絵を描くってことは、うまくいけば一回で終わらないんじゃないかなと想像したんだよね。

―――後まで続くだろうと。

 :うん。それまでのオーデションでは一度も話す機会がなかったから本当に緊張していたんだけど、ちゃんと言葉を交わしたいと思って。緊張して行って無言で帰ってくることだけは絶対に嫌だなと思って行ったな。初めてお会いして、最初から同じ目線で話してくれたの。私それがすごく嬉しかった。モデルをやってくれる子には芸術が好きな子を探してるって言われて私が映画を撮ってた話とか映画に出てる話とかをしたら意気投合して・・・・。

―――今度、山本耀司さんが日本のデザイナーとして初めてという絵の展覧会*4をやられるのはご存知ですか?

 :それのモデルをやってます。

―――あー! なるほど、それでですね!

 :私は去年の夏ぐらいからずっとモデルをしてます。油絵もかなり溜まってきてたりして。耀司さんも新聞とかのインタビューで絵を描いてるってことは前から公言してたんだけど。

―――モデルが結さんだっていうのは知らなかったです。すごいですね。

 :耀司さんと絵を描くのが本当に楽しくて。去年の夏、耀司さんと初めてお仕事をご一緒したとき、「お前はただのファッションモデルじゃない」って言ってくれたのが本当に嬉しかった。「何かを表現しようとしているから僕はそこに惹かれる」って言われて、本当に私が一番モデルをやってて良かったなって思ったのはその出来事かもしれない。ああ、伝わったな!っていう瞬間がたまにあるんだよね。

―――伝わったな、というのは思っていたことがという意味でしょうか?

 :うん。私が何かやりたいっていうことが、たとえ色々呼ばれてCMのモデルです、とか雑誌のモデルですとか、そこで何か表現したいなっていう気持ちを作り手の意図とか込みで、彼らの意図を汲んで表現したいんですよっていう気持ちが伝わった瞬間はとても嬉しいな。もちろん耀司さんだけじゃないんだけど、本当に末長くご一緒出来たらと思う。

―――話しだすと止まらなそうですね(笑)。

 :私は芸術が好きなモデルを探すという目的で偶然に出会ったし、そこを変に恐縮してしまっても意味がないと思ったから、正面から関わっていく中で確かな関係性が築けたのかなと感じてる。仮縫いのモデルで会っていたら、そういう関係性は作れて無かったと思うんだ。同時に耀司さんは私が作るものとかにも興味を示してくれて「どんな映画が撮りたいの?」とかそんなことまで聞いてくれて、不思議な関係性でもあるなって。


3 BARK IN STYLE・・・2008年設立のモデル事務所。
4「デザイナー山本耀司が描く絵画の世界」・・・ヨウジヤマモト青山店で2012611日(月)-630日(土)に開催された絵画展。デザイナー山本耀司が描いた絵画作品が展示された。


使命感、「君と僕の世界を作る」 




 :耀司さんのように自分の言葉で喋る人って少ないんじゃないかな。表層をすくっていくような表現が多いから、+αでどういう風に好きかとか、知らない人にどう伝えるかっていうところで自分の言葉で発信してる姿に憧れてて。私は役者とかモデル業とかそれなりに幅広いジャンルで活動してるからこそ、絶対に自分の言葉でやりたいと思ってるの。好きな人と仕事する時もそう。自分の言葉で伝えたらその人にも伝わるし、その人が好きな人にも伝わるから。そこだけは絶対にぶらせたくない。

―――バランスとしてどう意識されますか?

 :どっちにも寄りすぎないというか、コアになるでもなく誰にでも分かりやすくなるでもなく、なんだかよく分からないけど遠い世界でもなく興味を持ってもらえるラインっていうのを探していきたい。そこをなんとかして形にしていきたいですね。

―――役者もモデルもそうなんですが、意図するものであると同時に意図されるものであると思うんです。発信する側と受け取る側のちょうど中間から発信するということについて結さんはどう考えてらっしゃいますか?

 :そこは私、分けていないのが自分の一番の特徴だと思っていて。何かしらの作り手というか、監督だったりとか編集者だったりの意図が自分の感覚に触れたところを100%発信していこうっていう。例えば雑誌の仕事で編集の人がなんとなくイメージで、こういうページにしたいなっていう設定があるんだけど、その考えだったり設定がイメージのままで留まっていることがあって。それをなんとかしてアウトプットしたい。

―――なるほど。演じる時の気持ちとしては自分に向かってきた意図を拡張して届けるイメージなんでしょうか。それとも、しぼって届けるイメージ?

 :シャープにする感じ。言葉にはしなくても伝わる時ってあると思うんだよね。シャープにしたからといって君と僕とっていう世界を作ることを諦めなければ、どんな広がり方もすると思うし。とにかく作品でコミュニケーションしようとしてる人っていうか、すごい情熱家だとか、すごい努力家だとか、忍耐強いからとか、そのことを言葉に出すよりも真摯に作品と真面目に向き合ってる人は大好き。作品で世界と、誰かと通じ合いたいって、「できる」ってことを諦めてる人が私は一番ダメだと思う。消費者だとか視聴者とって、どこまで広い広がり方をしても一対一だと私は思ってて。そこのコミュニーションができなければどうしようもないなと思うから伝わると思って喋るし、伝わるとすごく嬉しい。

―――コミュニケーションは人と人の意識の間にある出来事だと思うんですけど、完全に分かりあえると思ってコミュニケーションされますか?

 :どうだろう。コミュニケーションする時って自分の気持ちが他の人に届いて大きな振動をそこで呼び起さなくても伝わると思うし。伝えた先で逆に相手が自分に与えてくれるんじゃないかとか、自分に届けてくれるんじゃないかなって信じることで。そこでは全てが共感に繋がるわけじゃないから、それで生まれてくる声を聞いてみたいと思う。そういう意味で正直なものが好き。

―――正直者が好き。

 :正直者が好き(笑)。商売人って正直だとやりづらいっていうか、クリエイターもそうなんだけど正直であればあるほど引かれてしまうっていうのもあるとは思うけど。

―――結さんは正直な気持ちを爆発させて演技だとかモデルをする方ですか?

 :私はそっちが好き。役者に誘われてやってみたいって思ったのは映画に関われる関わり方が許されるんだったらやりたいって思ったというのもあるんだけど、あわよくば実生活で喜怒哀楽があり余ってるから、それをなんとかしたい気持ちが強い。自分の人生の中でこんな思い別にしなくてよかったんじゃないかっていうことを一つの作品に成分として埋め込みたいっていう思いがあって。それってモデルの仕事だけじゃ発散しきるのは無理で。そういった中で映画はあってると思うんだよね。

―――そういう場を探してらっしゃるんですか?

 :探してはいないんだけど、自分の気持ちを持てあましてしまうから。

―――生活という日常に対してモデルとか役者がいるところは切りとられた非日常の空間だと考えているのですが、そこへ帰っていくようなイメージを持たれたりはしますか?

 :それは違うかな。作る側にしたら逆にそれが彼らの日常だと思うから、非日常っていう感覚はない。非日常だと作り物になっちゃうから。設定だったり、その世界の中の日常があると思ってる。それが私に役として渡されるってことは完全にかけ離れてはいないはずで。自分の中にある日常の感情を頼りに役を作るし、逆に自分の人生において何の役にも立たない執念みたいなものもここで報わせるっていうか。成仏させてあげるわけじゃないけど、そういう気持ちはあります。

―――ありがとうございます。では最後に今後の展望を教えてください。

 :どうなっていくんだろうって私自身が思いながらやってます(笑)。結構大きな風呂敷を広げちゃったなと。ずっと言ってるんだけど、ファッションなり映画なりアニメなりジャパニーズカルチャーにまつわることに携わってるっていうのが私の特徴だから、そういうものを実体がない状態のままにするんじゃなくてアイコンとして実在したいと思う。例えば映画好きの人とかファッションが好きな人とかアニメ好きの人って、最近は少し近づいたとも思うんだけど、そういう人たちが一本の線になれたらいいなと思って。大きなことを言ってしまうけど、媒体を越えて発信していけたらいいと思います。





オフィシャルブログ『結ものがたり』
http://ameblo.jp/yui-barkinstyle

オフィシャルTwitter(非常にゆるい)
https://twitter.com/xxxjyururixxx

【映画】
7
28日公開 今泉力哉監督『こっぴどい猫』
2012
年秋公開 園子温監督『希望の国』
2013
年春公開 御法川修監督『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』

【舞台】
ホチキス『クライシス百万馬力』
2012/09/13(
) 2012/09/16()シアタートラム

Ust番組】
USTREAM
番組「2.5Dアニメ部」MC
(月1回ソーシャルTV局「2.5D」にて放送中)

【本】
7
17日発売『文学少女図鑑』




2012年7月13日金曜日

物語り尽くすための展示会――writtenafterwards fashion photo exhibition “I find everyone 2011 5 / 5″(NETOKARU掲載版)




今年の5月5日。こどもの日。


原宿のVACANTでwrittenafterwards(以下リトゥン)による「ドミノファッション写真展2012S/S」が開催されたのをご存 知だろうか。内容は同ブランドが昨年発表した「秘密のファションショー 2012 S/S」(2011年5月5日に行われた)の最中に、2012 年5月5日へと日付が変えて撮影された未来写真を実際の日時に合わせ公開するイベントであった。

ドミノ写真展が一日限定の催しだったのにくらべ、長期間にわたり展示することを趣旨としたのが恵比寿のギャラリーショップI FIND EVERYTHINGで開かれていた「writtenafterwards fashion photo exhibition “I find everyone 2011 5 / 5″」だ。




壁一面に飾り付けられた色鮮やかなドミノ。

実はこれら、驚くことにすべて写真立てで出来ている。リトゥンは2012S/Sシーズン、会場へ招いた人々をモデルとしてショーに組み込む一風変わったコレクションを行った。写真立ての中に収められているのは約500人の参加者たちがランウェイを歩いている様子だ。

年2回行われるコレクションは各メゾンが翌年に販売する商品の見本展示会という側面が大きい。そこから分かるように、発表されたアイテムがそのまま 店頭に搬入されることはなく、顧客からの発注を受けて工場で別に製作がはじまり、商品としての体裁が整えられる。よって服自体が消費者の手に届くまでには どうしてもタイムラグが生じてしまうのだけれど、リトゥンのデザイナー山縣良和は提示から提供の間にある時間のずれを物語で繋げてみせた。

どのようにしてか。結末の先延ばしによって、である。
「I find everyone 2011 5 / 5」は昨年のショーのコンセプト抜きでは成り立たない展示会であり、新たな意図から行われてはいない。未来写真の公開日がショー当日のちょうど一年後に設 定されていたことからすれば、温めてあった案だと推測できる。あらためて言おう。ファッションショーにおいて取りざたされる特権とは“現場に立ち会うこと でしか共有しえない空気感”に由来するもの。この内部に籠ろうとする性質のために物語の持続可能性は時間の流れから一公演単位で制限を受けるのだが、山縣 は開いた幕がいつ閉じるのかをあらかじめ明かすことで性質の被膜に裂け目を生じさせた。

となると現在進行形の物語を一つのパッケージに収めるには思い出を語りなおす回想シーンではなく、語られている話題に区切りをつける句読点が必要になってくる。それが「I find everyone 2011 5/5」に割り当てられた役回りというわけだ。






長いようで短い時間差を埋めたのち、撮影された人々はエンドロールにあらわれた過去の――未来写真という設定を顧みれば――現在のわたしとして、もう一人 の自分の静止画と初めて向き合うことになる。写真に浮かぶ人々を眺めていて印象に残ったのは一様に見せる笑顔。装う事のいとおしさを伝え、流行の成り立ちや本質を伝えることという消費活動だけに留まらないファッションの楽しみ方だった。


2012年6月22日金曜日

レビューへの回答編、山縣良和(writtenafterwards)インタビュー


展示会レポートを記事(物語り尽くすための展示会――writtenafterwards fashion photo exhibition “I find everyone 2011 5 / 5″)にしてから2週間弱。展示会場を訪れた山縣良和さんのもとへ直接伺い、解釈に対する回答を得ることができた。レポートもあわせて生の言葉にぜひ目を通してほしい。

 

もう一回、蘇らせるような感覚で 

 


―――去年のコレクションの際に2012年の55日という日付で写真を撮影されて今日この展示会をやられてますよね。普通のショーはその時だけで物語が終わってしまって商品が市場に出るまで続かないのですが、writtenafterwardsはショーから展示会までを通してそれを接続させようとしていると感じたのですが、どうでしょう?

山縣:僕は物語性を常に大事な要素としていて、それはwrittenafterwardsと名乗っているところにも『その後に書かれた』という名前として現れています。いつも意識的に作品そのものが物語の背後にあるものだということをやっていて。この展示会に関してもファッションにもうちょっと時間軸を取り入れたいなっていうことで一年後に日付を設定して、もう一回物語を蘇らせるような感覚でやりましたね。

―――具体的に着目したところなどは?

山縣:たとえば2012S/Sのショーでは「一年後のイメージするファッションをしてきてください」と参加者には伝えたんですけど、実際に一年後になって着たいか着たくないかはその人次第で。着たくないと思えばその人の心の変化を感じるし、それでも着たいと思ったらそれはそれでだし。自分がチョイスしたものを、つまり自分の感情の変化っていうものをさらにクローズアップさせるっていうことをやってみようと思って実現させました。

―――ありがとうございます。

山縣:展示会についてはそんな感じですね。


ファッションと批評の交わるところ


―――僕はwrittenafterwardsをファッション批評誌で知りました。そういう姿勢を見ているとリトゥンの物作りは批評に対して寛容なのかなと感じるのですが。

山縣:普通のデザイナーと比べたら寛容かもしれないですね。その方が盛り上がるだろうとか。最近は色んな意見が交わされて、色んな感情とか意見とが交差することによって活性化する部分があるなと感じていて。ファッションって好き嫌いとか、売れるか売れないかだけで判断されがちじゃないですか?

―――はい、そうですね。

山縣:だけど、それだけがファッションじゃないし。それだけの感情とかそれだけの意見だけでファッションシステムが作られていったら不健康になってしまうので。批評的な部分とか文脈的にデザインを捉えたらとか論理的に、倫理的にっていう色んな軸があった方が僕はファッションっていうものがそもそも健康的なんじゃかなと思っていて。そういう意味合いで様々な意見があってもいいかなって僕は思う。

―――健康的というのは人間の自然な姿に合うという意味でしょうか?

山縣:そうでもあるし、暴走しちゃいかんなと。今、ファッションシステムが暴走しがちなので言うんですけどね。システムが暴力装置になって社会を壊していく可能性もあったりすると思うので。そういうことも含めて、もっと色んな言論が入っても面白い、というぐらいが僕はバランスが良いのかなと。もちろんファッションから発せられる感情的な部分とか単純に好き嫌いっていう部分は僕も好きだしファッションの魅力だとも思う。だけど、それが行きすぎたところで社会的に不健康な業界とされていることは良くないと思うんです。このぐらい大きな業界なのでね。そういう気持ちです。

2012年6月12日火曜日

物語り尽くすための展示会――writtenafterwards fashion photo exhibition “I find everyone 2011 5 / 5″



 
今年の55日。こどもの日。
原宿のVACANTwrittenafterwards(以下リトゥン)による「ドミノファッション写真展2012S/Sが開催されたのをご存知だろうか。内容は同ブランドが昨年発表した「秘密のファションショー 2012 S/S」(201155日) の最中に2012 55日 へと日付が変えて撮影された未来写真を、実際の日時に合わせ公開するイベントであった。

ドミノ写真展が一日限定の催しだったのにくらべ、長期間にわたり展示することを趣旨としたのが恵比寿のギャラリーショップI FIND EVERYTHINGで開かれている「writtenafterwards fashion photo exhibition “I find everyone 2011 5 / 5″」だ。




壁一面に飾り付けられた色鮮やかなドミノ。

実はこれら、驚くことにすべて写真立てで出来ている。リトゥンは2012S/Sシーズン、会場へ招いた人々をモデルとしてファッションショーに組み込む特異なコレクションを行った。写真立ての中に収められているのは500人の参加者たちがランウェイを歩いている様子だ。

2回行われるコレクションは翌年に販売する商品の見本展示会としての側面が大きい。その呼び方からも分かるように、発表されたアイテムがそのまま店頭に並ぶのではなく、顧客からの発注を受けて製作がはじまり商品としての体裁が整えられる。よって消費者の手に届くまでにはどうしてもタイムラグが生じてしまうのだけれど、リトゥンの山縣良和は提示から提供の間にある時間のずれを巧みに繋げてみせた。

どのようにしてか。結末の先延ばしによって、である。
現在、開催中の“I find everyone 2011 5 / 5″は昨年のショーのコンセプトをうけて派生してきており、新たな意図から行われてはいない。未来写真の撮影日がショー当日からちょうど一年後に設定されていたことを推し量れば、すでに構想を練ってあったものだと考えられる。

開いた幕が2012年の5月5日までは閉じないと明かされている以上、物語を記憶の底に沈めてはおけない。必要になってくるのは思い出を語りなおすための回想シーンではなく、語られている話題を尽くす仕組み。それがこの展示会の役割に他ならないだろう。

長いようで短い時間差を埋めたのち、撮影された人々はエンドロールにあらわれた過去の、――未来写真という設定を顧みれば――現在のわたしとして、もう一人の自分の静止画に初めて対面することになる。ショーへ足を運ばれた方は予想通りの姿かどうかを、運ばれていない方は描写の正体を会場で見届けてほしい。




服作りのテーマに物語を用いた例を並べるのは簡単だ。それ以前に物語から始まったファッションブランドも知っている。しかし、表現方法の外部に、商品を市場に供給するまでの過程に物語性を付けくわえた例を少なくとも僕は思い出すことができない。

写真に浮かぶ人々の顔の形や装っている衣服の差に関わりなく、一様に見せる笑顔が強く印象に残った。そこには「装うことのいとおしさを伝え、流行の成り立ちや本質を伝えること」というwrittenafterwardsの目指すクリエーションが確かに写しだされている。



展示会期間は今月17日まで。

2012年5月23日水曜日

人と衣服の行き違い(3)【実践――東京大学服飾団体fabの場合】


服飾と経済

ファッションの実体のなさというか、さまざまな仕方で提示されてしまうから、どうやって扱っていいか分からない、と。このことは、ファッションが、絶えず価値の剰余を生成し、さまざまな経路で交換していく資本主義のプロセスに最もマッチしたジャンルのひとつであることと、本質的に関係していると思いますね。

ファッションと経済が取り結んでいる分かちがたい紐帯を指摘した批評家千葉雅也の言葉。

ルイ・ヴィトンを傘下に置くフランスのコングロマリット( conglomerate: 対象とする市場や自社に直接関連性のない事業を抱えた複合企業のこと) LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)に始まり、プラダグループ、国内で言えばリンク・セオリー・ホールディングスなど。ひとりの人間の人生を容易に凌駕する大資本はファッション業界の動向を支える原動力である。

デザイナーの作家性に言及する時も金銭による制約を避けて通ることはできない。片や直接的により多くの収益を獲得するために媒体としてファッションを利用するデザイナーがいれば、自分の感性にしたがって作品を生み出し、人間の審美眼を問い続けるデザイナーもいる。しかし、後述したような資本から遠ざかろうとする指向が、図らずも遠ざけたものに親和性を帯びてしまうという矛盾。それが興味深い。

ファッションの世界では、ニューヨークとパリとロンドン、ミラノもそうですけど、全部が繋がっているんです。そこで勝負する人たちにとっては、「出世の階段」みたいなものがあって、新人がロンドンで実験的なことを始めて、パリのモードで洗練されて、そこで成功した人がニューヨーク行っていちばん高いギャラをもらうっていう流れがある。(林央子/Hayasi Nakako インタビュー http://www.web-across.com/person/d6eo3n000001w07f.html



1990年代からの情報改革によって整備されたインターネットインフラストラクチャーはハイファッションブランドの服作りに良い意味でも悪い意味でも均質化をもたらした。資金提供元の企業はこの閉塞感を打ち破るために様々な方法論を採用したが、中でも特に注目すべきなのは現代アートを積極的にブランドイメージの宣伝に援用した点だろう。

すぐに想起されるのはルイ・ヴィトンと村上隆の合作。さらにルイ・ヴィトンは2011年に表参道店7階に現代アートの展示会場を開設した。バレンシアガはアーティストのドミニク・ゴンザレス=フォスターに、デザイナーのニコラ・ゲスキエールとのコラボレーションによるコンセプトショップの設計を依頼し、2003年前後に、パリ、ロンドン、ニューヨーク店などで、サイトスペシフィックな内装を実現させた。直営店におけるアート・イン・ショップの草分けであるコム・デ・ギャルソンは2009年、大阪店の2階にアートスペース「Six」をオープン。(『拡張するファッション』)

 

 

二極化をひも解く手がかり

宣伝に用いられたのは単純にアートと呼ばれる分野だけではない。ファッションとアートの境界線を跨いだ活動を展開していたマルタン・マルジェラやヴィクター&ロルフ、ヘルムート・ラング。目に留まりやすいアイコンとして経済の影響を表面上には感じさせない「擬作家主義」的なブランドも戦略に取り込まれていった。

独立した創作活動と経済が交わった所に何が導き出されるのか、というのは粗末な問いかもしれない。マルタン・マルジェラ本人はブランドに資本が注がれてから数シーズンを経て、メゾンを去った。ヴィクター&ロルフは初期においてこそ実験的な服作りを展開していたが、現在はオンリー・ザ・ブレイブ社から投資、経営面や生産面のサポートを受けコレクションを発表する名実ともにファッションのブランドとして定着した。深く事情を知らない者にも主流に対して反抗的な創作を続ける難しさは否応なく伝わってくる。

では、経済か純粋な創作か、という二極化の構造を解体する手段とは?

抽象的な認識であったファッションの資本主義が実像を伴って目の前に現れるバラエティ番組の私服公開のコーナーや、不必要に膨張した服飾雑誌の厚み。コンテンツの内容以上にスペースを割かれた広告面は潤沢な資金力の象徴であり、また次の頁へ指の移動を辟易とさせる種でもある。あなたはそのスタイリングが意図されたものだと知っている? そのメイクが意図されたものだと知っている? その発言が、体型が、そして間隙が僕たちは無防備に晒されすぎていると示唆しているにも関わらず。

もはや生活の隅々に浸透した経済のダイナミズムを超越しようとあくせくするより、それを乗りこなしながらどう生き延びていくのかへ思いを巡らせる方が僕たちの行儀に適しているのは明らかだろう。目を向けていないだけで界隈は活発に動いている。

 例えばロンドンでノーギャラで『i-D』とかでファッションフォトを撮っていた人が、明日にはニューヨークの大御所カメラマンになるかもしれない。そういうサクセスストーリーが現実にあるんです。でも、日本はその流れにはまったく入ってないんです。(上記インタビューより)

ファッションと経済の地理的な布置から見て辺縁にある日本。この場所から発信できる可能性について考えてみたい。

 

 

実践――東京大学服飾団体fabの場合

 

instrumentation/restriction”Ryutaro Sakae

201251213日。東京メトロ神保町駅から歩いてほど近い都心のエアポケットにて、東京大学fabの展示会<demonstration>が催された。幅2m奥行き8mほどの細長い更地に設営された展示空間。設置された展示物は総数にして4体。さらに服としての実用性を備えた作品においては1着にまで絞られる。

入口以外の面を建造物の外壁に覆われた手狭な会場の全体図、展示された作品数の少なさは、当初、困惑を覚えるほどであった。しかし、なるほど。この展示会には必然性があると実感したのは会場の入り口で要旨を印刷したパンフレットを受け取り、目を通した時のことだ。以下、配布されたパンフレットより一部引用。

あらゆる土地の占有には意味が伴う。

一時的/永続的)な占有(=所有)のために境界線(/)が設定されると、(わたしの/だれかの/みんなの)土地は(滞留/移動)を、わたしたちに促す。しかし、(一時的/永続的)な占有は、それが(合法/非合法/違法)であれ、対立がうまれることを免れない。

一方、(一時的/永続的)で(合法/非合法/違法)な占有は、占拠となり、(演繹的/帰納的)に直接民主制としてのデモンストレーションとなる。そこでの主張の正当性は、(あつめられる/あつまっている)人数によって担保される。

それでは(一時的/永続的)に、(合法/非合法/違法)に土地を占有することはどうだろうか。例えばコインロッカーやコインパーキングのような時間貸しの場所を占有することは、どのような意味を持ちうるだろう。

惹きつけられたのは展示会のコンセプトが、前提が正しいなら必ず結論も正しくなるという演繹的推論の過程から引き出されている部分。つまり論理の視座に依っているところだった。

Rice paper”Risa Kono
論理学の体系がことばとことばの関係に厳密な論証を求めるため、その手順にかなって導き出された結論/本展示会の要旨はファッションが抱える数の障害――ファッションショーの一回性の問題、ショーのたびに何十体ものルックを披露しなければならない問題――を克服する。学問の見地からファッションへ働きかける方法を用いることで、発案から完成した作品までを貫く彼らの主張が妥当性を有するものであるとデモンストレート(de(完全に)+monstr(示す)+-ate)してみせるのだ。

土地にかぎりのある島国の小ささ・少なさ・狭さといった不安要素。彼らの試みはそれらに長い年月を費やし、前向きな概念にまで咀嚼した異邦の特性を、裏付けされた理論に基づいて提示したと解釈できる。戦後の復興期に進められた後追いの法整備で時代から取り残された路地の隙間。登記法の網の目に浮かびあがった空き地を利用して行われた本展示会は、抜け目なく見えたファッションの資本主義に内在する欠落を指摘していた。

ファッションへの立ち居場所を明確にすること。自分が振りまわされない経済の規模を把握すること。ありとあらゆる事象に開かれた布地へ価値ある囲いを与えた時に初めて、想像もしていなかったファッションの姿形が輪郭として切り出されるのではないだろうか。


2012年4月20日金曜日

人と衣服の行き違い(2)【ファッションデザイナーの夢】

眼差される眼差し


フランスへ飛ぼう。

2012年、トレンド発信の地パリでは、人事の発表が一番の衝撃をもって受け入れられる。2005年からジル・サンダーでクリエイティブディレクターを務めたラフ・シモンズが退任し、創始者のジル・サンダー本人が復帰するというニュース*1。それだけではない。2000年から2007年にかけてディオールオムでディレクターを務め、ゼロ年代におけるハイファッションの動向を決定づけたエディ・スリマン。彼がイヴ・サンローランでデザイナーに復帰するという報道は、居場所を失いかけていたファッションビクティム(流行に左右され衣服を買い求める人々)の歓喜を呼び起こした*2

売上の良し悪しがそのまま存在の可否へと転換するこの場ではデザイナー/ディレクターの趣向がメゾンにもたらす影響は計り知れない。あのデザイナーだから買う、あのデザイナーでは買わないというセールスの要件に直結するからだ。どんなに素晴らしい意匠を施された創作物も、売れなければ主張を証明することができない。

退任前、最後のコレクションで人々は衣服の質よりも今まさにカーテンコールへと進みつつあるショウの進捗に心をそばだてられ、終演の刹那にデザイナーがこぼす一滴の歓喜あるいは遺恨?へ共感の視線を投げかける。あたかも服の上で織りなされる人間のドラマを期待していたかのように。

想像力を掻きたてるエロティシズムの資本は、想像力の反復運動のなかで使い果たされる。だから資本はたえず投入され補填されねばならない。(中略)要は、新しい意味作用が別の箇所で発生すればいいのだ。旧い貨幣のようにすり減って、挑発力をすっかり喪失し、無垢な存在として忘却の淵に沈められていた身体部位が、もう一度の投資の対象として甦る。(鷲田清一『モードの迷宮』)

どんな服でも着続けられれば魅力を失ってしまうのと同様に、想像力を資本とするクチュール・メゾンの価値も単一の手法では消費されるのに限度が生じることは言うまでもない。つまり人の手を媒介にしてしか立ち現れえないファッションという現象の見えざる身体。それが自身のシルエットを一つのパターンに収斂させようと試みる人々デザイナー・職人・モデル、ついには消費者すらを取り換え続けるとは考えられないだろうか。

神経症的なこだわりを一着のジャケットに向ける眼差しが、衣服によって僕たちの容姿へも注がれていることを忘れてはいけない。





ファッションデザイナーの夢


これまでの試行によってファッションを届けられる受け手が衣服だけを眼差していないことは理解できた。ではイメージを形/デザインに起こす作り手は衣服を越えた先に何を見るのだろう。渦中の人物ラフ・シモンズの言葉に、その一端が現れている。

質問を投げかけ、提案し、愛を与え、批判もする。すべては対話です。(中略)でも、どんなに素晴らしい服や、素材や仕立てが素晴らしいスーツであっても、私は着ません。私には何も伝わってこないのです。(「ラフ・シモンズが語る、未来の男性服。」VOGUE HOMMES JAPANVOL.8

衣服が衣服だけの問題で閉じることを拒否する姿勢。服を通して浮かび上がってくる対話を彼は求めていた。

わずか半年の間に構想を練り、テキスタイルを吟味し、パターンに落とし込み、実物を立ち上げ、ショウにまとめる。各々の手法に違いはあれど、一般に考えられる洋服作りの作業は線で結ばれている。この途切れのない流れに身を任せることが、どれほど労力を要するかは想像に難くないだろう。この絶え間ない動性のために、ファッションは止まらない。ゆえに、ファッションは感覚に親しむ。ファッションは停滞を許されない。ゆえに、ファッションは思索から遠ざかる。(限りなくファストへ)

1980年代に入ってからパリコレを衝撃で震わせる山本耀司(ヨウジヤマモト)、川久保玲(コム・デ・ギャルソン)、三宅一生(イッセイミヤケ)ら日本人デザイナーの感性を育んだ1960年代という時期は、衣服の主流がオートクチュールからプレタポルテへと移行した期間でもある。一気呵成にパラダイムシフトが押し進められた背景にはファッションを庶民化・普及させる目的があった。贅沢としてのファッションではなく、近代の生活に根ざした「衣」の観念が速度を要請したのだ。

しかし、スタイルの逡巡を通り抜けた現在も、速さの収束は依然として見られない。ファッションを追っていた僕たちが、ファッションの身体に追い立てられている現状。なす術は尽きてしまったのか? そうではない。ラフの言葉に現れたように、行き違いを越えて湧き出すものは必ずあるはずだ。記されたファッションの逆説はすでに一つの方法を指し示している。

「ファッションを止めなければならない。ゆえに、ファッションを感覚から遠ざけよう。」
「ファッションに停滞を許そう。ゆえに、ファッションは思索へと近づく。」

アート展に行き、作品を見て、インパクトがあったとしても、それが何なのかわからない。アーティストが伝えたいことがわからない。作品の意味もわからない。でも、インパクトがある。それが私の言っていることなんです。それが必要なんです。そして、それを必要としている人たちもいるんです。(同インタビューより)