2014年3月29日土曜日

正直になって伊賀大介に聞いてみる。第2回


なんで楽しいかっていうと何でもありだから 



―――話は変わるんですが、ファッションは共通意識によって作られていく部分があると思うんです。共通意識を持ってる人が集まって、その内のひとりがファッションスナップに撮られたりしてシーンを作っていったりするじゃないですか。でも、その一方で西新宿を歩いてる洋服に興味無さそうなおじさんのシルエットが不意にめちゃくちゃ格好いい時がありますよね。

伊賀:全然あるよ。 全然ある。

―――要するに何も知らないことによって新しい流行が作られていったりする部分もあるんじゃないかと思って。そういう点で知ることと知らない事の関係についてどう思いますか?

伊賀:あぁ~、難しいね、観念的に捉えてありかなしかって。20年前に見たことあるかもしれないってことを自分の中で知ってると定義するか、もう20年経っててそれ以外思い出してないから知らないっていう風に定義するかっていうのもあるし。だって、それはもしかしてデジャヴで・・・・デジャヴって本当かどうかわからないじゃん。なにかの映画のワンシーンで全く気にしてないけど見たことあるかもしれない、みたいなことだったりするさ。その質問は難しいね。

それはどっちかというとデザイナーの仕事っていうか。これが新しいですよって言って出すわけじゃん。だからこそパクリだなんだみたいな話になるんだけどさ。スタイリングにパクリってあんまり無いからさ。だし、だから俺はデザイナーっていう人に対しては本当に尊敬するし、基本的にね。0から作んないといけないから。ただ、なんで俺がスタイリストやってて楽しいかっていうと、何でもありだからだよね、それは。100万円のジャケットにフリマで10円で買ったTシャツを合わせても良いし。それは格好よければ正義だからさ。また、どっちが良いかみたいな格好いい格好悪い問題っていうのがあるんだけど。つまり「逆に」問題ですよ。「『逆に』良いよね」みたいな。

―――以前、ラリー・クラーク*1のトークショーに参加したことがあるんです。日本ではあまり感じないんですけれど、外国って階級差だったりステータスによって洋服や格好が決まってくるものだったじゃないですか。特にラリー・クラークはスケーターに影響を受けていたから、そのムービーも撮ってるし。そこで質問者から「最近のシーンはどうですか?」という質問を受けた時に、スケーター風だけど実際にはまったくスケーターではない人が増えていると答えていたのが印象的でした。そのときシーンと服装の結びつきは離れていってしまうのかなと思ったんです。これはどうしようもないんでしょうか?

伊賀:それはもう一生イタチごっこでしょ。もう生きている限りそれはそうなる。伝達時間が速くなるだけで。かっこいいと思われるために群れてしまうっていうのは人間の習性じゃん。もう誰も知ったことないファッションなんて無いから。それで言ったらさっきの話も同じで、その瞬間だけは新しい物はあるかもしれないけど。すごく極論を言ったら、これから新しいものなんか素材以外なんにもないよ。あとは石岡瑛子の仕事とかさ。ほぼ映画のセットみたいな、ああいうことしかないからさ。

―――いかに再現するかっていう感じになってきたんですかね。昔あった世界観を自分の理解によって再現し直すというか。

伊賀:そうそう。戦後はもうほとんど変わらないんじゃない? テレビが出来てから。それはもう早いか遅いかの問題で。例えば、医薬品とか薬とかだったら早く伝達した方が良いじゃん。一発でエイズが治りますって薬を日本で開発したとして、「いや、これは教えられないです」とは言えないじゃん。ゲイがどうとかじゃないけど、治るものだったら治った方が良いじゃん、そういうさ物に関しては。行こうと思えば明日ニューヨークに行けるしさ。その速さで伝達した方がいいし。しょうもない情報もものすごく有意義なことも、とにかく伝達が速いって言うことが現代社会だから。だから、それはもうしょうがないよね。

―――それを求めてる人がいればそうですね。

伊賀:だって、すべての格好、洋服とかショップとかも全部がそうだよね。昔なんか卵が貴重品でオムライスも食べられなかったんだもん。今だったらオムライスを食えない奴なんていんの? みたいな話じゃん。それに反抗したら「最近みんながオムライス食うようになったけど、それはちょっと違うと思うんだよね」みたいな話に近くなっちゃうじゃん(笑)。でも、あらゆるファッションはそういうふうにして駆逐されていく物だよね。

―――あぁ、駆逐されていくっていうのは、もう平板化していくっていうことですか?

伊賀:そうそうそう。だし、今の日本なんて漫画みたいなダサい奴がいなくなっちゃったじゃん。20年前はいたけど。俺はユニクロとかとも仕事したりするから、そういう時はいかにフラットに見せられるかが良しとされるけどさ。そりゃ外人モデルだから格好良いよっていう枕詞は置いといて。そうなるとみんな同じものを同じ時間に同じ発売日に持ってることが価値になっていくから。今、いくつだっけ?

―――今、24歳です。

伊賀24か。そうするとやっぱりあんまりいないよな。80年代ってこの人あからさまに興味ねぇなって人が・・・・今でもいるよ、そりゃ。だけど、漫画みたいなダサい人ってあんまりいないもん。それを日本人がみんな洋服に興味を持ちだしてお洒落になったねと言うのか、これを着てればダサくないですよっていう廉価な洋服が増えたと言うのかは・・・。

―――やっぱり、そういう意識は強いですよね。遅れを取っちゃいけないというか。

伊賀:格好良いか格好悪いかとかさ、「それ良いね」とか言ってるのなんて、はっきり言って人口の5%ぐらいじゃん。それが自分の生き方に関わるのってさ。他の人は着てればいいんだから。だからスーツとか、そもそもあれは軍服だからさ。どこに帰属してるかっていうのを一発で分からせるためのものだから。学校の制服もそうだし男のスーツとかもそうだし。

―――その所属するところによりますね。赤坂だったらスーツが基本じゃないですか。埼玉の所沢だったら私生活の服でしょうし。

伊賀:そうだね。だからすべての流行りとかはあっという間に伝染するわけじゃん。じゃあ例えばドレスダウンがいつから始まったかってさ、誰も世界の服飾史を勉強をしてる人でも、絶対辿りつけないじゃん。昔の貴族であえて胸のボタンを1個空けたみたいなさ。それが歴史を変えるようなものすごい着崩しだとは思わないじゃん。今でいうとジャケットの下にTシャツを着るのとかもそうだしさ、スーツなのにスニーカー履くとかさ、誰がその起源か分からないじゃん、それってさ。少し前はもうちょっと分かりやすいかもしれないよね。ツィギーがいてミニスカートが流行りましたよとか。あとはアインシュタインがノーベル賞の授賞式にジーパンを穿いて行った、みたいなこととかかもしれないし。今はもう分からないじゃん。だから、すっごいダサい奴とすっごい格好良い奴がほぼ一緒の格好みたいなことってありえるじゃん。

―――そういう意味では同時多発的ですね。

伊賀:だから、もう56年前だけどさ、みんながケミカルウォッシュのデニムを穿きだしたときに、ついに来たなと俺ぐらいの年代は思ったもん。ついに80sの、自分が小学校の時の一番ダサいものが先頭に立ったなと思ったもんね。今はもう90sになっちゃったからさ。

―――エアマックス*2が流行ってますからね。

伊賀:とかさ。90sなんていうと俺の高3の時か。あの時はスウェットの上下セットアップなんかもう完全にありえなかったし。

―――そうですね。普段着としてもなかったですもんね。

伊賀:そうそう。そうなるとすごくお洒落で真似されてた、いわゆるファッションリーダーみたいなやつとかが一番ダサいとこにいったりするわけじゃん。それが今は格好良いんだってなるじゃん。で、今度、みんながそれに来るとそこから逃げようとするわけじゃん。そうなると前の世代の一番ダサいものを着てくみたいなことになるからさ。だから駆逐されるし、イタチごっこだよね。それは洋服っていう物の常でしょ。


第3回→「お前それ似合わねぇな」とか、どこのどの口が言うんだって感じ


  1.  ラリー・クラーク・・・幼少期より写真家であった母親の影響で撮影技術を学び、1971年には、ティーンエイジャーのリアルな姿を撮り続けた、初の写真集となる「Tulsa(タルサ)」を発表した。
  2.  エアマックス・・・ナイキを代表するスニーカー。ソールのクッション部分に空気を利用しているのが特徴。90年代にはスニーカーブームの火付け役となり爆発的な人気を誇った。

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