2020年1月1日水曜日

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記されるファッションは洋服にまつわる言葉を、もういちど見直すための場所です。

2015年9月6日日曜日

歩き方の話


洋服を着ることで歩き方が変わることはありますか。


これは例え話でもなんでもなくて、
有名なブランドの洋服を着ているから自分に自信が持てることだとか、
可愛いワンピースを買ったから彼氏に会うことが楽しみになること。
要するにそんなことで、外を歩くことが楽しいとか、
はやく友達に会って服を自慢したいとか 、
そんな自分の気持ちの変化が体の動きに影響を与えることはないかということ。


うろ覚えになるけれど何年か前に大学の講義で、
デザインの語源には「騙す」という意味があると聞いたことがある。


日々の生活のなかで考えてみると、自分はいろいろな場面で洋服を都合よく使っていることにも気がつく。
仕事ができる自分を演出するのにハイブランドのジャケットを着るかもしれないし、
数年ぶりの同窓会で旧友に新しい自分を見せるために髪型を変えるかもしれない。
もしかしたら、おばあちゃんに成人写真を送る時、
写真スタジオのセットのなかでポートレイトを撮るかもしれない。

騙す、と書くと、なんだかそれがとても悪い行為を指すように思うかもしれないけれど、
逆に言うと今、上に挙げたような演出を施すためにファッションデザインの力は不可欠じゃないだろうか。
きっとそれはファッションという現象の持つ、人の喜びに寄与するポジティブな力だと思う。



日本のファッションブランドは欧米のブランドとは違って、
その名前に固有名詞を選ぶのと同じ程度の頻度で、一つのフレーズを冠することが多い。

そこには名前が本来持っている表示の機能だけはなく、
作り出した何着もの衣服を一つの独自の世界観にとりとめようとする
作者の願いにも近い意思が込められているように思えてならない。
しかしそれ以上に、その世界観こそがブランドの大きな魅力にも繋がっている。

ある意味では、作者が服と同じレベルで物語を作り出そうとしているかのような、
別の種類の欲求が強く現れていると言えないだろうか。


いくつにも分散した欲求という意味では、
服を作る人だけではなく、買う人にも同様の傾向は見受けられる。

あるブランド/世界観の服を好きになる
→そのブランドのアイテムを買う
→身につける

という一連の思考と行動には、
着ることによって自分の容姿にべつの側面を持たせ、
その上で彼らがこれ以降どのように生きていくかについて、
一種のマニフェストを表明しているように受け取ることができる。



もしも、服が人の歩き方を変えるのだとしたら、
服は人の暮らしかたに影響を与えるかもしれない。
仕事のしかたに影響を与えるかもしれない。
暮らし方や、生き方に影響を与えるかもしれない。

好きな服を着ることが、人生を前向きに変えていくと信じたい。





2015年1月25日日曜日

退屈をやりすごす1つの方法


『さらば青春の光』という映画を見たのは、
ちょうど一カ月くらい前のことだった。


60~70年代イギリス、
湧きおこるユースカルチャーシーンのさなかにあった少年の物語。

三つボタンのモッズスーツに身を包み、
ロックバンドのThe Whoに没頭する主人公。
彼は夜な夜な安いドラッグをキめて、町のクラブからボンボンの実家、
めったに開かれることのない港町のライブイベントなど、
パーティーが開かれていると場所を聞けばどこでも関係なく、
べスパにまたがり友人とやかましく繰り出し続ける。

ダサい連中とポップスを嫌い、酒と可愛い女の子と最新のレコードに夢中。
たむろし騒いでどうしようもない無茶をする。
先のことなんか気にしない。だって、そんな事を考えたってしょうがないから。


映画のなかで主人公の服装は一時的な流行としてではなく、
主人公の生き方(と同時にそれにたいする欲求)として描かれる。
それこそが大きな問題だ。



物語の背景にあるのは階級社会。
特に大衆の大部分が属していた労働階級の閉そく感だと思う。

自分の属する階級によって生涯を通して得られる給料や
人生設計(そんな進んだ考えがあるとは思えないけれど)、そして将来。
人生のすべてを周囲の環境から明らかに想像できてしまい、
また、事実として大半がその通りになってしまう。
そんな恐ろしい事があるだろうか。

しかし、だからこそイギリスという国では、
大きな仕事を成し遂げて誰かによって決められた繰り返しのループを抜け出すために、
もしくは単純に自分の不満をまき散らすために生まれてくる新しい表現の方法は
尽きることを知らないのではないだろうか。


事実として音楽だけを取って見ても、モッズ、ロッカーズ、パンクなど、
その時代の体制や権威に対するカウンターとしての文化が
形を変えながら次々と生まれてきた。(メトロポリタン美術館でパンク展がスタート


ロンドンコレクション(ロンドンコレクション2014春夏)で言えば、
他の都市に比べて実験的な洋服デザインを発表するショーが多く存在し、
ときにはファッション以外の領域に対する政治的なアピールも行われる事で有名だ。
言うなれば商業的な面よりも、新進気鋭のデザイナーを見出す場として
受け止めらている部分が大きいように思う。



また少しだけ映画の話へ。

この映画の中には葛藤するひとりの平凡な少年の姿が残されている。


派手に繰り広げられる夜の生活に比べ、
昼の時間の描写はどうしようもなくみじめで、ジメジメとしている。

専業主婦の母親はクラブから帰って眠りについた少年を、
いつまで寝ているのかと叩き起こし、郵便配達員の父親は
日々の鬱憤を晴らす相手として息子を口汚く罵倒する。

モッズを信仰する仲間の内では一目置かれる主人公も、
家ではただの放蕩息子でしかないし、
やっていることは結局不良のそれと変わりないのだと言わんばかりに…。


2015年の日本。時間と場所が変わっても若者の自意識にまつわる関心は
ほとんど変わらないと思うし、人自体もそう簡単には変わらない。
しかし、当時のイギリスほど階級の問題が表に出てきていないこの国では、
自分を他人と区別する方法なんていうものは、
そこまで気にする必要がないのかもしれない。

でも、洋服を通り抜け、透けて浮かんだ生きざまを目にする時、
あまりにも人間的な不器用さを映し出しているようで、とても魅力的だと思う。







2014年3月29日土曜日

正直になって伊賀大介に聞いてみる。第3回


「お前それ似合わねぇな」とか、どこのどの口が言うんだって感じ 



―――またガラッと話が変わるんですけど。伊賀さんの琴線に触れるものってなんですか? 何がおもしろいなって思いますか?

伊賀:前提として言うと、自分で分かってないから面白いんだけどね。

―――あぁ、理解できないものみたいな感じですか。

伊賀:そうそう。で、理解できないもの、っていう理解できなさでもないというかさ。なんか、よく分からないけど「すげえ!」っていう。基本的にはそういうことだよね。だけど、歳をとっていくとさ「あ、これってあれだな」っていうのが増えちゃうじゃん。だから、同時にそれとの戦いでもあるよね。なんで良いのかわかるのが自分の経験であったりもするけど、それってあんまり良くないことかもしれないじゃん。だから、あんまり分からないようにしとくし、すごく若い人のものとかでも、超売れ線でも自分が良いなと思ったら良いって言うようにしてるっていうか。

だいたいさ「あれとか何とかのパクリじゃん」って言ったら何にも面白くなくなっちゃうよね、そりゃ。じゃあ自分が何かをパクったことがないかって言ったら、何かの影響を受けてるわけじゃん。自分の中で箇条書きすればあるの。青春っぽいとか、暴力的とか、男っぽいとか、自分の好きなキーワードっていっぱいあるから。モテない感じとか、ナードな感じ、ロックな感じ、反抗的な感じ、反体制な感じ、とかさ。そういうのが色々あるんだよね。そういうのが多ければ多いほど良いんだけど、無頼な感じとか、酒飲みな感じとか。全部あるんだけど、そういうのを自分の横にメモ書きしておいて、これに合ってるから俺は好きなんだって言ったら面白くないじゃん。まったくそうじゃなくても面白いものとかあるからさ。

―――今まで好きじゃなかったのに急に好きになったりとかありますか?

伊賀:全然あるでしょ。そりゃ全然あるし、毎日変わるよね。だから、毎日変わる事をある種、肯定するよね。もちろん、それは自分の半経2mとかではないよ。だけど、仕事とかで接するものとか、そういうものに関しては全然言ってること変わるなぁと自分で思うからさ。

―――頑固になると変わることに否定的になるじゃないですか。でも柔軟であろうとするとブレて見えることがあるというか。伊賀さんは強く見えますよね。

伊賀:だから、それは計算してない。シンプルなルールが23個あるだけだよね。それはヤクザ映画を見て学んだことというかさ。友達を裏切らないとかその程度のことしかないわけですよ。困るような嘘をつかないとかさ(笑)。すごくシンプルな感じになってくるんだよね(笑)。それ以外はなんでもありっつうか、わかんなよね、それは。俺だってもう37歳のオジサンだけどさ。世の中にこういう物があるんだって影響を色んな文脈ありきで受けるようになってから、言って20年ぐらいだよね。17ぐらいまでは何にも知らないと仮定して。そうだとしても20年だけじゃん。あと5年経ったら全く変わるだろうし。すごく影響を受けてることでも、5年前だったら知らないことっていっぱいあるし。だから、それは全然あるでしょ。これからも。

―――自分は中3のときに、親の友達から「ファッション誌でも読んだら」と言われたことでファッションっていうものを知って、今もこんなことをやってるんですけど。

伊賀:こじらせてるねぇ(笑)。10代とか特に分かりやすいもんね。やってるうちに大人びていくやつもいるしさ、経済力の問題だったりするし。3日連続で遊ぶときに12日ならいいけどさ、3日目はヤバいな、みたいなこととかあるじゃん。

―――ありますね。これ以上は着てったらヤバいなというか(笑)。

伊賀:次の日はデニム同じでアウター同じでいいけど、3日目は流石に変えないとな、みたいなこととかさ。特に10代の時とかは思うじゃん。今は全然なんとも思わないけど。靴ぐらい変えとくかとかさ。

―――やっぱりファッションっていう表現は自己満足の部分が多いですか?

伊賀:完全にそうでしょ。だって、何したって裸じゃなければ怒られないもんね。別にね、迷彩服や、すぐに職務質問を受けそうな右翼みたいな格好してようが、暴走族の特攻服みたいなの着てようが別に捕まったりしないじゃん。それはもうその人たちの自己満足だったりするし、ヤンキーもそうだし、ゴスロリもそうだし、コスプレイヤーもそうだし、俺らみたいなのもそうだし、ユニクロしか着ないやつもそうだしさ。みんなそこで満足してるんだったらそれで良いじゃんみたいなさ。俺が服を職業してるからって他人の普段着に口出すみたいなのはないよね。それは全く別の仕事だしさ、「みんなもっとお洒落したほうがいいよ」とか口が裂けても言えないからさ。なにその角度みたいに感じちゃう。

―――流行させようとしてるというか、売ろうとしすぎてるというか。

伊賀:だから、楽しければいいですねっていうことを言うしかない。だって本を読んでるのが好きな人もいれば、音楽を聞いてるのが好きな人もいれば、絵を描くのが好きな人いれば・・・。こういう文化的なことだけじゃなくてさ、実験とかしてるのが好きな人もいればさ。何でもいるじゃん。自分がどうでもよくてって、子供の世話だけ見てたらいい人も。その人の喜びってあるじゃん。お洒落ならみんなが幸せだみたいなのってさ、「お洒落に対して、なんでそんなに万能感持ってるの?」と思うわけ俺は。こんなにどうでもいいジャンル他にないと思うよ。
 
 だけど、みんな着ないといけないからさ。何に帰属しているかっていうのが人間として生きてると大変だよね、やっぱさ。今だと俺は子供がいるから保育園の集まりとかに黒ずくめで行ったらみんなビビるじゃん。普通ですよっていうことを出していかないといけなかったりするし。だから、そういうことでしかないというか。あのね、お洒落なんかしなくていいよ、その人がよければ。みんなお洒落を楽しんでくださいとか、ほんとに欺瞞だよ。と俺は思う。

―――ありがとうございます。最後になりますが、ファッションという物に伊賀さんはスタイリストとして関わってると思うんですけど、そもそもファッションができることって何だと思いますか?

伊賀:今、色んなこと言ったけど、ファッションっていう言葉とか持ってるものがダメってことじゃないからさ。それを言うやつがお前なんなの? っていうだけの話であってさ。お洒落が正義みたいなのは全くそんなことないですよっていう話を前提に言うと、ファッションが持ってる物とかファッション自体は、すごく面白いと思う。

 俺は妄想壁がすごいからさ、これも例えばの話なんだけど。四年制の大学を出て、東京に出てきました。4月から憧れの企業に就職したはいいけど、あまりにも厳し過ぎると。社会人生活がつらい、なんでこんなに怒られなきゃいけないのと感じてる女の子がアトレとかに行って、「あ、このコートすごく素敵。あたしの好きな水色なの」って思うわけ。で、そのコートを買って着たら元気になるとかあるんだよ。それってファッションの持ってる作用じゃん。

―――間違いなくありますね。

伊賀:そういうことに関してはすごく良いと思う。それ自体に全く罪はないし、「お前それ似合わねぇな」とか、どこのどの口が言うんだって感じだってするじゃん。迷惑かけてないからさ。もちろん度合いにもよりますけど。でも、そういうことって、すごくいっぱいあるから。サッカーのユニフォームが新しいものになったから頑張ろうでも良いし。なんでもいいんだよね。それこそ手編みのマフラーもらったから、このマフラーをしてるとき幸せな気分になるとか。数値とかそういう物で測れないものを持ってると思う。
 
 で、俺の仕事に押しこめばそういうことができるからさ。色んな表現ができるでしょ。俺はこれでプロの道を選んだから、俺に仕事をくれるってことは、服の中での表現で色んな感情とか場面とか状況とかを表現してください、ってことだから。それで仕事をやって今回すごく良かったですよと言われるのはすごく嬉しいからさ。でもファッションを逆にネガティブに使うこともできるわけじゃん?

―――だからファッションと口に出した時に笑われちゃう時もあるじゃないですか。

伊賀:そうそう。だから、ドジっ子OLなんかが服を買ったはいいけど、丈が合ってなくて笑われるっていう場面にもできるわけじゃん。それはスタイリングだからさ。で、似合っちゃって良いねみたいことでもあるしさ。ちょっと古いけど、メガネを取ったら意外と美人みたいなことだって、あんなのはファッションの分かりやすい点だし。だからファッション自体は面白いよ。それこそ太宰治だってそうじゃん。『グッド・バイ』でさ、死のうと思ってたけど、麻の着物を新しい着物があるから、今年の夏まで生きてようと思ったとか。あとは飯とかあると思うよね。なんか食ったら元気が出たとかにすごく近いと思う。だから、それが「あの時の飯で私、救われたんです」っていうのが、高級なフランス料理だと救われてココイチのカレーじゃ駄目なの?って話しですよ。あとは富士そばのかけそばじゃ駄目なの?とかさ。




↑人と被りたくないという伊賀さんの考えが表れているTシャツ。間近で見ると着倒されているのがよく分かる。染めやリメイクも自分で行ったそう。



プロフィール 
伊賀大介いが だいすけ1977年、西新宿生まれ。96年より熊谷隆志氏に師事後、99年、22才でスタイリストとしての活動開始。雑誌、広告、音楽家、映画、演劇、その他諸々「お呼びとあらば即参上」をモットーに労働。下手の横好きながら、文筆業もこなす。(http://band.co.jp/profile/iga/


正直になって伊賀大介に聞いてみる。第2回


なんで楽しいかっていうと何でもありだから 



―――話は変わるんですが、ファッションは共通意識によって作られていく部分があると思うんです。共通意識を持ってる人が集まって、その内のひとりがファッションスナップに撮られたりしてシーンを作っていったりするじゃないですか。でも、その一方で西新宿を歩いてる洋服に興味無さそうなおじさんのシルエットが不意にめちゃくちゃ格好いい時がありますよね。

伊賀:全然あるよ。 全然ある。

―――要するに何も知らないことによって新しい流行が作られていったりする部分もあるんじゃないかと思って。そういう点で知ることと知らない事の関係についてどう思いますか?

伊賀:あぁ~、難しいね、観念的に捉えてありかなしかって。20年前に見たことあるかもしれないってことを自分の中で知ってると定義するか、もう20年経っててそれ以外思い出してないから知らないっていう風に定義するかっていうのもあるし。だって、それはもしかしてデジャヴで・・・・デジャヴって本当かどうかわからないじゃん。なにかの映画のワンシーンで全く気にしてないけど見たことあるかもしれない、みたいなことだったりするさ。その質問は難しいね。

それはどっちかというとデザイナーの仕事っていうか。これが新しいですよって言って出すわけじゃん。だからこそパクリだなんだみたいな話になるんだけどさ。スタイリングにパクリってあんまり無いからさ。だし、だから俺はデザイナーっていう人に対しては本当に尊敬するし、基本的にね。0から作んないといけないから。ただ、なんで俺がスタイリストやってて楽しいかっていうと、何でもありだからだよね、それは。100万円のジャケットにフリマで10円で買ったTシャツを合わせても良いし。それは格好よければ正義だからさ。また、どっちが良いかみたいな格好いい格好悪い問題っていうのがあるんだけど。つまり「逆に」問題ですよ。「『逆に』良いよね」みたいな。

―――以前、ラリー・クラーク*1のトークショーに参加したことがあるんです。日本ではあまり感じないんですけれど、外国って階級差だったりステータスによって洋服や格好が決まってくるものだったじゃないですか。特にラリー・クラークはスケーターに影響を受けていたから、そのムービーも撮ってるし。そこで質問者から「最近のシーンはどうですか?」という質問を受けた時に、スケーター風だけど実際にはまったくスケーターではない人が増えていると答えていたのが印象的でした。そのときシーンと服装の結びつきは離れていってしまうのかなと思ったんです。これはどうしようもないんでしょうか?

伊賀:それはもう一生イタチごっこでしょ。もう生きている限りそれはそうなる。伝達時間が速くなるだけで。かっこいいと思われるために群れてしまうっていうのは人間の習性じゃん。もう誰も知ったことないファッションなんて無いから。それで言ったらさっきの話も同じで、その瞬間だけは新しい物はあるかもしれないけど。すごく極論を言ったら、これから新しいものなんか素材以外なんにもないよ。あとは石岡瑛子の仕事とかさ。ほぼ映画のセットみたいな、ああいうことしかないからさ。

―――いかに再現するかっていう感じになってきたんですかね。昔あった世界観を自分の理解によって再現し直すというか。

伊賀:そうそう。戦後はもうほとんど変わらないんじゃない? テレビが出来てから。それはもう早いか遅いかの問題で。例えば、医薬品とか薬とかだったら早く伝達した方が良いじゃん。一発でエイズが治りますって薬を日本で開発したとして、「いや、これは教えられないです」とは言えないじゃん。ゲイがどうとかじゃないけど、治るものだったら治った方が良いじゃん、そういうさ物に関しては。行こうと思えば明日ニューヨークに行けるしさ。その速さで伝達した方がいいし。しょうもない情報もものすごく有意義なことも、とにかく伝達が速いって言うことが現代社会だから。だから、それはもうしょうがないよね。

―――それを求めてる人がいればそうですね。

伊賀:だって、すべての格好、洋服とかショップとかも全部がそうだよね。昔なんか卵が貴重品でオムライスも食べられなかったんだもん。今だったらオムライスを食えない奴なんていんの? みたいな話じゃん。それに反抗したら「最近みんながオムライス食うようになったけど、それはちょっと違うと思うんだよね」みたいな話に近くなっちゃうじゃん(笑)。でも、あらゆるファッションはそういうふうにして駆逐されていく物だよね。

―――あぁ、駆逐されていくっていうのは、もう平板化していくっていうことですか?

伊賀:そうそうそう。だし、今の日本なんて漫画みたいなダサい奴がいなくなっちゃったじゃん。20年前はいたけど。俺はユニクロとかとも仕事したりするから、そういう時はいかにフラットに見せられるかが良しとされるけどさ。そりゃ外人モデルだから格好良いよっていう枕詞は置いといて。そうなるとみんな同じものを同じ時間に同じ発売日に持ってることが価値になっていくから。今、いくつだっけ?

―――今、24歳です。

伊賀24か。そうするとやっぱりあんまりいないよな。80年代ってこの人あからさまに興味ねぇなって人が・・・・今でもいるよ、そりゃ。だけど、漫画みたいなダサい人ってあんまりいないもん。それを日本人がみんな洋服に興味を持ちだしてお洒落になったねと言うのか、これを着てればダサくないですよっていう廉価な洋服が増えたと言うのかは・・・。

―――やっぱり、そういう意識は強いですよね。遅れを取っちゃいけないというか。

伊賀:格好良いか格好悪いかとかさ、「それ良いね」とか言ってるのなんて、はっきり言って人口の5%ぐらいじゃん。それが自分の生き方に関わるのってさ。他の人は着てればいいんだから。だからスーツとか、そもそもあれは軍服だからさ。どこに帰属してるかっていうのを一発で分からせるためのものだから。学校の制服もそうだし男のスーツとかもそうだし。

―――その所属するところによりますね。赤坂だったらスーツが基本じゃないですか。埼玉の所沢だったら私生活の服でしょうし。

伊賀:そうだね。だからすべての流行りとかはあっという間に伝染するわけじゃん。じゃあ例えばドレスダウンがいつから始まったかってさ、誰も世界の服飾史を勉強をしてる人でも、絶対辿りつけないじゃん。昔の貴族であえて胸のボタンを1個空けたみたいなさ。それが歴史を変えるようなものすごい着崩しだとは思わないじゃん。今でいうとジャケットの下にTシャツを着るのとかもそうだしさ、スーツなのにスニーカー履くとかさ、誰がその起源か分からないじゃん、それってさ。少し前はもうちょっと分かりやすいかもしれないよね。ツィギーがいてミニスカートが流行りましたよとか。あとはアインシュタインがノーベル賞の授賞式にジーパンを穿いて行った、みたいなこととかかもしれないし。今はもう分からないじゃん。だから、すっごいダサい奴とすっごい格好良い奴がほぼ一緒の格好みたいなことってありえるじゃん。

―――そういう意味では同時多発的ですね。

伊賀:だから、もう56年前だけどさ、みんながケミカルウォッシュのデニムを穿きだしたときに、ついに来たなと俺ぐらいの年代は思ったもん。ついに80sの、自分が小学校の時の一番ダサいものが先頭に立ったなと思ったもんね。今はもう90sになっちゃったからさ。

―――エアマックス*2が流行ってますからね。

伊賀:とかさ。90sなんていうと俺の高3の時か。あの時はスウェットの上下セットアップなんかもう完全にありえなかったし。

―――そうですね。普段着としてもなかったですもんね。

伊賀:そうそう。そうなるとすごくお洒落で真似されてた、いわゆるファッションリーダーみたいなやつとかが一番ダサいとこにいったりするわけじゃん。それが今は格好良いんだってなるじゃん。で、今度、みんながそれに来るとそこから逃げようとするわけじゃん。そうなると前の世代の一番ダサいものを着てくみたいなことになるからさ。だから駆逐されるし、イタチごっこだよね。それは洋服っていう物の常でしょ。


第3回→「お前それ似合わねぇな」とか、どこのどの口が言うんだって感じ


  1.  ラリー・クラーク・・・幼少期より写真家であった母親の影響で撮影技術を学び、1971年には、ティーンエイジャーのリアルな姿を撮り続けた、初の写真集となる「Tulsa(タルサ)」を発表した。
  2.  エアマックス・・・ナイキを代表するスニーカー。ソールのクッション部分に空気を利用しているのが特徴。90年代にはスニーカーブームの火付け役となり爆発的な人気を誇った。

正直になって伊賀大介に聞いてみる。第1回


宮藤官九郎監督作品や大人計画の舞台などクセの強い衣装表現を得意とする一方、「おおかみこどもの雨と雪」といった大衆向けアニメーション映画でキャラクターのスタイリングを担当するなど、ジャンルに囚われず仕事を続けている人はなかなかいないと思います。今回は服飾業界きっての好漢、スタイリストの伊賀大介さんに聞きました。





いかに普通っていう枕詞と戦っていくか 



―――伊賀さんのスタイリングは人間のもともとの綺麗さだったり、姿勢を肯定しようとしてるように感じたのですが、どうでしょう?

伊賀大介(以下、伊賀):それは何を見て思ったの?

―――インターネットに広がってるインタビュー記事とか、あと雑誌の特集ですね。メンズノンノの伊賀文庫100回記念号も買いました。

伊賀:あ、俺が(水道橋)博士と話してるやつ?

―――そうです。岡本太郎が好きだったりする影響なんでしょうか?

伊賀:岡本太郎は超でかいよね、やっぱり。アシスタントの時に読んでたのもあって。『今日の芸術』*1が知恵の森文庫で復刻したのが2000年か2001年でしょ? だから、俺が189歳ぐらいなのかな?

―――文庫だと本自体がすごい綺麗じゃないですか。それで、ちゃんと今風の字体になってるから、いつのやつだろうと思ったら最初に出たのは1950年とか、それぐらいのやつなんですよね。

伊賀:そうそう。戦争が終わって5年か6年なんだよね。

―――伊賀さんは古本屋を見つけたら普通に入られたりするんですか?

伊賀:そうだね。時間ありゃあね。古着とかもそうだけどさ、どこに何があるか分かんないでしょ? 

―――分からないですね。

伊賀:ねぇ。今、ネットでアーカイブが残ってるって言ったってさ、ウィキぺディアとかもそうだけど基本的なソースが無いじゃん? だから、すべての情報に対して自分で裏を取りに行くっていうかさ。その人がその人たる物を。俺は岡本太郎について色々読んだりしてるけど。岡本太郎ってさ、東宝かなんかがやってる歌舞伎の美術をやってたりするんだよね。そしたら、もうそれが今、検索しても残ってないんだよ。昔の『太陽』って雑誌があるじゃん? あれの、すごい昔の歌舞伎特集ってのがあって。それが1968年ぐらいのやつなんだよね。それを古本屋で買ってさ、おもしれぇなと思ったら。え~っと、誰だったかな(深く考えて)、岡本太郎の鼎談があって、「僕が歌舞伎をやった時…」って、すごいちっちゃいコマで残ってたりするんだけど。そういうの知らないじゃん?

―――知らないですね。

伊賀:大竹伸朗*2さんのことも雑誌のインタビューを全部読んでるわけじゃないからさ。古本屋行ってさ『若者たちの神々』とか、ハタチぐらいの大竹さんのインタビューを読めたりとかするけど、すべての雑誌まではフォローできないからさ。実際に俺と同い年の時にどういう風に思ってたかとかさ。著作は残るけど、インタビューとか全体までは辿れないじゃん。だから、そういう出会いがわからないから古本屋とかに行くっていう。

―――実際に物に触れるっていうことですよね。

伊賀:そう。何が転がってるか分かんないじゃん。

―――手ざわりとか関係ありますよね。

伊賀:いや、モロあるでしょ!

―――そうですよね! 匂いとか特に強いですよね。

伊賀:あるあるある全然! これは話完全にずれるけど。じゃあ20年ぐらい前の映画のポスターってなんでカッコいいんだろうなって思ったら、それは今では公害になってるから、そこで使われてるインクが使えませんってことになってたりするじゃん。それによって、ものすごく大気汚染が進んで、「人間って本当ダメだな」とも思ったりするけどさ。そのポスターのロゴのなんとも言えない赤い色ってなんなんだろうなって思ったら・・・・。

―――そのインクでしか出せない色だったと。

伊賀:そうそう。そういうことだったりするから。だから、調べられる限り色んな角度から見てみないと分からないし。基本的に歴史って残った者が改ざんしてくじゃん。

―――そうですね。残った人が前の歴史に遡って変えていったりする場合もありますからね。

伊賀:そいつがどういう奴だったかとかさ。分かりやすく言えば明智光秀がどんな奴だったかは分かんないみたいな話だったりするからさ。実際に物質として残ってる物のほうが俺は信用できる。

―――スタイリングの仕事をしてる人達って本は読む方ですか?

伊賀:分かんないね。あんま話しないからね。

―――僕がブログを始めようと思った理由にファッションって軽く語られすぎてるんじゃないかなっていうのがあって。そういうのを調べてくうちに学校で学ぶことを使ってファッション論をやろうみたいな人たちがいることを知って、そこにコミットしようとしたことから始まったんですね。なので、ファッションにおいて読む力ってどう影響するんだろうなと思ってるんですけど。

伊賀:どうだろうね。これは本当に何回も話してて直接的な答えになってないんだけど。俺がなんで本を読むかって言うと、とどのつまり好きだから、楽しいから、暇がつぶせるから、自分の知らない世界を知れるからっていうの全部あるんだけど。

中学校の時に授業中に小説を読んでいて、先生に怒られたと。授業が終わって呼びだされて、その人は社会のハヤカワ先生っていう人だったんだけど。その先生も本読みだったっぽいからさ、その人が言ったのは「でも、本を読むのはすごく良い」と。なぜならノンフィクションであれフィクションであれ、本っていうのは架空であれ大概ひとりの人生について書いてあるから。そうすると一冊本を読むとこういう世界があるんだっていうのをひとつ知れると。一冊も読まない奴は自分の一通りしかわからない。だけど100冊読むと101通りになると。だから本はすごく良いものだよ、って言われたのがあって、それが俺の中ではすごく残ってるんだよね。

だから、映画とかもそうだけど、読めば読むほど世の中ってありえないことなんか無いなと思うし。「普通無いよ」って言われても「いやいや、そういう人いるよ」みたいな。90歳で初めて小説を書いたっていいしさ。普通っていう枕詞が新しいものを遠ざけるわけじゃん。「普通やんないっしょ」みたいなさ。いかに普通っていう枕詞と戦っていくかっていう感じじゃん? 例えば『破獄』っていう吉村昭の本があるんだけど。それは白鳥由栄っていう日本の脱獄物のモデルになった脱獄囚の話なんだけど。それは読んだ方が良いよ。

―――そうなんですね。読みます!

伊賀:その人はすごいんだよ。飯でみそ汁が出るじゃん。それを牢屋の檻に注して、3年かけて錆させてそこから脱出して・・・・。あとは読んだ方がいいと思うけど、その何がすごいかって言うと脱走の理由が無いんだよね。看守がムカつくとか、閉じ込められてんのが嫌だからとか、脱出だけが目的なの。本を読めばそういうものを知れて、自分の中に入るじゃん。自分ができるできないはまた別の話だとして。そういう意味では人間として本を読んでるやつの方がおもしろいよ。だけど洋服に関して必ず読まないといけないかって言ったらそうでもないと思うけど。なんとも言えないところだね。


  1.  『今日の芸術』・・・「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。斬新な画風と発言で大衆を魅了しつづけた岡本太郎。彼が伝えようとしたものは何か時を超え、新鮮な感動を呼び起こす「伝説」の名著。(Amazon商品ページより抜粋)
  2. 大竹伸朗・・・伊賀さんが影響を受けている日本の現代芸術家。武蔵野美術大学油絵科卒業後、80年代初頭のニュー・ペインティングの旗手として鮮烈なデビューを飾ざると、以降、コラージュなどの絵画やゴミやガラクタを集めて作ったオブジェを始め、絵本や小説、エッセイ集の刊行や音楽など、多岐に渡って作品を発表し続けている。(http://www.lammfromm.jp/より抜粋)


2013年10月19日土曜日

正直になってレスリー・キーに聞いてみる。

 

 レスリー・キーさんの写真にじかに目の当たりにしたのはバーニーズニューヨーク横浜店で開催されていた写真展「SUPER BARNEYS PHOTO EXHIBITION」を訪れた時のことです。そこで僕は、彼の写真に写った人々から生き方への姿勢という抽象的な呼び方でしか表しようのない、人の体が発する彩り。そして、「人生を切り開いていくことは決して恐れることではない」のだと語りかけたままに焼きつけられた一瞬の、けれども色褪せることのない喜びの広がりを直感しました。シンガポールのスラム地区に産まれ、東南アジア、日本、ニューヨークと特徴の異なる大都市でSUPERなファッション写真を撮りつづけてきた彼に率直な気持ちを伺います。







今、シンガポール生まれのSUPERなファッション写真家が日本に感じていること 


―――レスリーさんが生まれたシンガポール、日本を含めた東南アジア、そしてニューヨークでファッション写真を撮影してきた写真家として、今の日本のファッションについてどんなことを感じていますか?

Leslie Keeレスリー・キー以下レスリー:私が1980年代に日本人が作ったと思うのはファッション誌とファッションの衣装とファッションショー。偶然ですけど私は先日、山本耀司とやっと会えました。よかったのはまだ彼が元気で生きてること。現役でやってるから私みたいな若手が一緒にコラボレーションできるし、できたこと自体が本当に幸せ。そのころと比べて今、日本が大変なのは絶対に魂。それはファッション雑誌を作るにしても、洋服を作るとしても、きっとそういうフォトグラフ(写真)にしても、魂が何か足りない。魂がないんじゃなくて、みんな魂がある。みんな魂は問題ない。でも、何かもう一つ二つがピシッとあったら、もっと良い物ができるかもしれないじゃないですか?

―――そうですね。

レスリー:どうして今、Alexander Wang(アレキサンダー・ワン)やJason Wu(ジェイソン・ウー)Phillip Lim(フィリップ・リムが活躍している中で、日本人はもっとできるはずなのに、そこに名前が出てこないのかすごく不思議。きっと、そのまま山本耀司と川久保玲と三宅一生のままで止まるわけじゃないでしょう。sacai(サカイ)*1さんはラッキー。Karl Templerカール・テンプラー*2をスタイリストにすることで彼女がもう一つ新しい服を作ることができたの。それに加えて源馬大輔*3彼女のサポートをしているから。源馬くんは昔、マックイーン*4とかと同じサンマーチン*5に通っていたから、みんな近所の友達で知り合いなの。人ってすごく大切じゃないですか。それだけじゃなく、日本のファッションはこれからまだまだまだ発表する場所が必要。発表する、表現するきっかけがもっといっぱい生まれてほしい思う。

―――それは日本の中でやるべきですか? それとも世界に出ていってやるべきですか?

レスリー:両方とも同時進行。私がすごく好きな映画監督で河瀬直美さんという人がいます。彼女はまだ30代の時に新人賞をもらったし、数年前にカンヌ映画祭のグランプリをもらってるんです。例えばじゃないんだけど、彼女の場合おもしろいのは海外に行ってないんですよ。全部、東京で撮った映画。自分の範囲で撮ってるんですよ。ドメスティックなものは世界に見せたら「ワオ!」って驚かれる。日本の発信する物から世界はインスピレーションをもらうことができるから。だから、国内でもすごく良いものをつくれば世界で評価されるし、当然、チャンスがあったら世界へ行ってそこで表現することも大事。だから両方大切。

 でも、日本人が海外に行ってすべて海外のシステムに合わせてもよくない。日本の美しいもの、日本人にしかできないものを、ちゃんと誇りを持って向こうで見せればいいの。だから日本人って羨ましいんですよ。なぜなら、私はシンガポール人でしょ? 悪いことじゃないですけど、シンガポールは日本ほど文化が高くない、低い。シンガポールは文化の歴史が浅い。着物もない。茶道もない。ドラマもない。わかる? 私はシンガポール人として表現にプライドを持って頑張りたいけど、私の国の歴史があまりにもファッションとか文化に繋がるものが少ないから、表現したいものができないんですよ。そのかわり日本人はハンパナイものを表現できる!

―――そう言われると本当にハンパナイです!

レスリー:本当に日本の文化はハンパナイものがいっぱいあるから、日本人は幸せなんですよ。それに気付いてました? 若い人に知ってもらいたい(笑)。

―――最近、ようやく気が付いてきました。すみません・・・・。

レスリー:そうです、気付いてください! あなたたち日本人は幸せすぎるって忘れないで下さい。ひょっとしたら、みんなが大変なのは平和に浸りきって生きてるからじゃないですか? もっと、みんな大胆に。失敗することを心配しないで堂々と海外に行って、壁にぶつかって、どんどん頑張ってほしい。



  1. sacai(サカイ)*1・・・・1999年、阿部千登勢(あべ ちとせ)が設立。自身がブランドを立ち上げる以前はCOMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)でニットのパタンナーを務めていた。
  2. Karl Templerカール・テンプラー)*2・・・・sacaiのコレクションでスタイリングを担当している。
  3. 源馬大輔 (げんまだいすけ)*3・・・・クリエイティブ・ディレクター。現在は sacai のクリエイティブ・ディレクションを担当。
  4. Lee Alexander McQueen(リー・アレキサンダー・マックイーン)*4・・・・1969年生まれ。1992年に自身の名前を冠したブランドを立ち上げる。2010年に死去。
  5. サンマーチン*5・・・・英国の名門ファッションスクール「セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」。上に記した源馬大輔とアレキサンダー・マックイーンの出身校。



ニコラ・フォルミケッティをお手本にして学ぶ 


レスリー:だから、Nicola Formichettiニコラ・フォルミケッティ)*1は平和に浸ってないじゃないですか。彼は見た目もラッキー。彼のいる場所もラッキー。日本人の血も少し入ってるじゃないですか。だから、私もそうだけど、日本人から見たらお手本として学べる1人だと思います。日本語もぺらぺらだし。

―――ハーフですからね。

レスリー:彼みたいな日本人がもっともっといっぱい生まれてもおかしくない。彼は頭が良いから裏原宿だとか原宿のギャルだとか、ギャルのアイテムのうまいポイントをピックアップして世界一のレディ・ガガを含めてコラボレートしてきました。日本人のデザイナーを起用して、クリスチャン・ダダ*2とかね。こういうことをさせるのはすごいありがたい。私は日本人じゃないけど、こういうことをしてくれる時がすごく嬉しい。

―――以前、ニコラさんがイベントをやったときに、つまり彼は当時レディ・ガガのスタイリストだったから、すごい数の人が参加すると思ってたんですね。ところが実際にイベントの当日になっても、そこまで参加者は多くならなかったんですよ。

レスリー:どうしてでしょう。宣伝が足りないから? 

―――それをニコラさんに直接に聞いたんです。「なぜこれほど有名な人が来てるのに、あまり観客が来ないんでしょうか?」と。

レスリー:実際に日本のファッションに興味を持ってる人は少ないのかな?

―――意外と少ない・・・。いや、どうなんでしょうか。その場所に来るほど意欲のある人が少ないのかもしれません。

レスリー:日本人は共感することは好き。最近、私はなんで自分がイベントにいっぱい出て、20人でも40人でも100人に対してでも同じく喋ることをするのか。それは、日本人のキャラクターの1つが人と共感することによって自分を探して進むことだから。全員じゃないけれども。ニコラは共感するところは少ない部分もあるからね。もしかしたら、距離感がありすぎて、みんなにとっては遠い存在かもしれない。私は近くにいるから、聞かれれば応える(笑)。だから共感されるじゃないですか? ある意味ね。けれど、私はニコラとすごい知り合いじゃないですけど、彼のことはすごく尊敬している。きっと彼がここまで来てる道が大変だと思うし、ここに来るまでの色々な物語がある。簡単にレディ・ガガのところへは行けないし、簡単にV Magazine*3で仕事はできないと思うから。才能によるところ、彼の運勢によるところ、プラス性格、そして努力。きっと、すべてあると思うから。

―――その通りだと思います。

レスリー:でも、昔じゃないですか。もう彼はレディ・ガガにはほとんど関わってないから、逆に今が一番おもしろいんじゃないですか? だから、自分のポップアイコン*4を作ってるし。でも、本当にいつか彼ともコラボレーションできたらいいと思う。あとは彼のやってることを日本人が応援してほしい。そうすることによって、彼が彼の仕事をやることによって、また日本人のやってることを世界に発信できたらいいと思いますね。



  1. Nicola Formichetti(ニコラ・フォルミケッティ)*6・・・・国際的に活躍するファッションデザイナー・ファッションディレクター・エディター。2013年の半ばまではレディ・ガガのスタイリストを務めていた。
  2. CHRISTIAN DADA(クリスチャンダダ)*7・・・・2010年、森川マサノリが設立したファッションブランド。
  3. V Magazine*8・・・・1999年アメリカ、ニューヨーク創刊。音楽、アート、映画、建築とファッションに関する幅広い話題を扱い、高さ35.5センチ、幅26.6センチという迫力の紙面が特徴。
  4. ポップアイコン*9・・・・彼自身をモチーフにしたパンダのキャラクター、ニコパンダのことだと思われる。



ファッションのまわりを囲む人のファッションとの関わり方 


―――ありがとうございます。では、最後に1つだけお願いします。レスリーさんは写真を媒体にして僕は文章を書くことでファッションに関わっていますが、服作りに直接関わることはないじゃないですか。

レスリー:ないですね。一番近いのは実際に撮影で服を触ったりするぐらい。あとは洋服をどうやって(写真で)切りとる事を考えることでしかできないからね。

―――そのようなファッションのまわりを囲んでいる人達が、もしくは一般の人たちがファッションに対して働きかけられることって何だと思いますか?

レスリー:洋服を、ファッションを買うことだよね。ファッション業界やファッションっていう存在が消えないように一般の人にできることは、私たちファッションピープルがやってること、それが写真なのか、ショーなのか、スタイリングなのか、イベントなのか、発信なのか。関心していただければファッションは続いていくかなと思った。やっぱり応援がないと続けられないし、音楽と一緒でしょ? 音楽のアーティストって歌い続けても、下にステージを支えてくれる人がいないと歌うことはなかなか難しい。ファンが音楽を買ってくれることで、また歌い続けられるし、ファッションピープルも同じ。ファッション雑誌をやってるエディターも、ファッションフォトグラフをやってるのは私だし、ファッションスタイリングするのはスタイリスト、ヘアメイクするのはヘアスタイリスト。一般の人が応援してくれることで私たちのやってることに意味が生まれてくる。

 だから皆さんは、ぜひ見てください。日本はアジアの中でもファッションの発想、そして、優れたファッションを作る1つの大切な国です。今は少し変わっているかもしれないですけど、これまでの時代って中国も韓国も香港も台湾も含めて東南アジアは日本を見てから行動していたから。世界の色んなみんなが日本の良いところだとか、おいしいところをゲットして作っているから、アイデアも質も含めて、やっぱり日本はファッションの発信の場所としてはすごいと思います。だから我々のまわりの皆さんがファッションピープルやファッションクリエイターのやっていることに興味を持ってくれたら、僕たちは役割をちゃんと続けられるんじゃないかと思っています。あなたみたいなブログを読んでいただければね。

―――本当にそう願っています! ありがとうございました!








プロフィール

Leslie keeレスリー・キー):1971年シンガポール生まれ。1994年来日。日本語を学びつつポートフォリオの作成を始める。1997年東京ビジュアルアーツ写真学校卒業。1998年独立。ファッションを中心に香港、台湾、日本とアジア各地で活動。2001年より5年間ニューヨークにベースを移し、活動の場を広げる。2006年東京に戻りファッション・フォトグラファーとアート写真家として活動。写真集『SUPER STARS』を発売。表参道ヒルズにて写真展開催。300人ものアジアのトップアーティストの協力を得て、津波の被害者に捧げられた。(http://www.lesliekeesuper.com


 今回、インタビューさせてもらったレスリー・キーさんは今年で写真活動を始めてから15周年。その集大成とも言える「愛」をテーマにした新作写真展「SUPER LOVE」が原宿のギャラリースペースEYE OF GYREにて明日、10月20日(日曜日)の午後4時30分まで(その後はトークショーとのこと)開催中です。この記事の内容以上に僕らの背中を押してくれる物は、レスリーさんが撮影した写真を除いて他にないのかもしれません。ぜひ、会場に足を運んでみてください。http://gyre-omotesando.com
 





最後になりますが、ここまで目を通して下さった皆さん。本当にありがとうございました。