2015年9月6日日曜日

歩き方の話


洋服を着ることで歩き方が変わることはありますか。


これは例え話でもなんでもなくて、
有名なブランドの洋服を着ているから自分に自信が持てることだとか、
可愛いワンピースを買ったから彼氏に会うことが楽しみになること。
要するにそんなことで、外を歩くことが楽しいとか、
はやく友達に会って服を自慢したいとか 、
そんな自分の気持ちの変化が体の動きに影響を与えることはないかということ。


うろ覚えになるけれど何年か前に大学の講義で、
デザインの語源には「騙す」という意味があると聞いたことがある。


日々の生活のなかで考えてみると、自分はいろいろな場面で洋服を都合よく使っていることにも気がつく。
仕事ができる自分を演出するのにハイブランドのジャケットを着るかもしれないし、
数年ぶりの同窓会で旧友に新しい自分を見せるために髪型を変えるかもしれない。
もしかしたら、おばあちゃんに成人写真を送る時、
写真スタジオのセットのなかでポートレイトを撮るかもしれない。

騙す、と書くと、なんだかそれがとても悪い行為を指すように思うかもしれないけれど、
逆に言うと今、上に挙げたような演出を施すためにファッションデザインの力は不可欠じゃないだろうか。
きっとそれはファッションという現象の持つ、人の喜びに寄与するポジティブな力だと思う。



日本のファッションブランドは欧米のブランドとは違って、
その名前に固有名詞を選ぶのと同じ程度の頻度で、一つのフレーズを冠することが多い。

そこには名前が本来持っている表示の機能だけはなく、
作り出した何着もの衣服を一つの独自の世界観にとりとめようとする
作者の願いにも近い意思が込められているように思えてならない。
しかしそれ以上に、その世界観こそがブランドの大きな魅力にも繋がっている。

ある意味では、作者が服と同じレベルで物語を作り出そうとしているかのような、
別の種類の欲求が強く現れていると言えないだろうか。


いくつにも分散した欲求という意味では、
服を作る人だけではなく、買う人にも同様の傾向は見受けられる。

あるブランド/世界観の服を好きになる
→そのブランドのアイテムを買う
→身につける

という一連の思考と行動には、
着ることによって自分の容姿にべつの側面を持たせ、
その上で彼らがこれ以降どのように生きていくかについて、
一種のマニフェストを表明しているように受け取ることができる。



もしも、服が人の歩き方を変えるのだとしたら、
服は人の暮らしかたに影響を与えるかもしれない。
仕事のしかたに影響を与えるかもしれない。
暮らし方や、生き方に影響を与えるかもしれない。

好きな服を着ることが、人生を前向きに変えていくと信じたい。





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