2012年3月28日水曜日

人と衣服の行き違い(1)



春の訪れを感じさせる午後の日差し。暖かな陽気に色めき立つ街で僕は目的地へと向かっている。途中、様々な人達とすれ違う。早歩きで追い越される。あるいは大股で追い越す。立ち止まって並び、同じタイミングで歩き出す。または異なったタイミングで。

ふと、前を歩いている人の洋服に浮かぶ微かな印に視線が奪われる。あれは・・・。




あの刺繍には覚えがある。名前を知る人ならば説明する必要がないほど特徴的な印。そうだ、あれはメゾン・マルタン・マルジェラのブランドタグを固定するステッチを後ろ側から眺めたものだ。

一方でファッションブランドに興味の無い人がこのステッチを見たらどう感じるだろう。まず気が付くことはあるのだろうか? その境界線を越えて印象に残ることは? 誰かに説明してもらうなどの助けがなければ、どちらの可能性も低いのではないか。

興味を持っていなければ目にも留まらない4本の糸が衣服の従属するマルジェラのイメージ、その登場がモードの世界に与えた影響、そしてファッション業界の中で占める意味合いを時として数冊の書物以上に物語る。耐久性から考えれば余計な突起としか言いようのないデザインのもたらす、ほんの小さな差異が?


ほころんだ袖口、意識の糸口
コム・デ・ギャルソンのボロルック*1然り、一見には汚れているようにしか感じられないカート・コバーンの着こなしも然り。魅力的な衣服・衣装の外観というのは、どこかにほころびほつれのような違和感を含んでいる。

カジュアルなアイテムに絞って言えばジーンズのリベットは布同士を留めるという目的を忘れて無意味に巨大化させられるし、切りっぱなしの袖口はデザインとしても認められ、新品のフランネルシャツには敢えて使い古されたような加工が施されることさえあるほど。

繋ぎ目の微妙な異なりや経年による形状の変化は、そのためにかえって「他の誰でもない私であり(なり)たい」という自己同一性の対象になり変わるのだ。完璧に滑らかな生地や区別のできない縫製には用が無いと言わんばかりに表面はざわめき、あふれ、不完全さを主張し始める。


82年3月のコレクションで川久保玲によって提示されたスタイル。黒い服はところどころがほつれたように見え、穴だらけである。実はこれは破いた穴ではなく、入念に計算して編まれたレースの一種だった。*1

意識の契機になるという意味で、この法則は高級既製服も例外とはしない。

人は衣服に権威を求めもするが、「ファッションを語る言葉を持たない」地点にその足場を求めるのであれば、そこではブランド―商標の意味で―名がお互いの意識の中で共通の閾値を有するものでなければならない。

友達との会話では「ヴィトン」という一言でダミエ柄の長財布を想像できなければならないし、「コーチ」というキーワードは外皮を大文字のCで埋め尽くされたショルダーバッグのことを指す。一様に騒々しい表面が口をつぐむことはありえないだろう。よって、どれほどの歴史があろうとも、創始者の名前を分けられていたとしても、認識を共有できていないブランドはユニクロの衣服ほども価値を証明することができない。

皮肉なことではあるが大量生産された安価な衣服―自己のアイデンティティへの期待を脅かしうる衣服は押し並べて―は素姓を秘匿しようとする、その無記名性にこそ価値が湧出する。人は衣服を求めるが、その目的は口を閉ざすためにあるようだ。


人の失踪
しかし、シンボリックな表示は、その意思を弄ぶかのように自身の価値を食いつぶし始める。あからさまな記号性が貧しさの象徴へと一転する。ブランドの蚕食―ライセンスブランド商法と密接した問題―。

世界中にちらばるクチュールメゾンはメディアやジャーナリストの見解・評価、売上の実績、およびその歴史的背景に伴った付加価値を備えている。では中国の工場で生産され、メイドインイタリーのタグを付けられただけの小物類―衣服というよりも装飾品に代表される―はどうだろうか?

これらのアイテムは特定の仕方で持つ・掛ける・飾ることで痩せた権威を発効する。ジーンズの後ろポケットから覗かせる仕方、グラフィカルな面を相手側へと向ける仕方。外出すれば必ず目にする光景。しかし、濫用され、擦り切れかけたアイコンが残すものは儚い記憶に過ぎないのだけれど。

これら擬特権的な―特権的であることを自己に暗示する―アイテムをまとめて販売する量販店のネオンが湛えるおぞましさとは、まさに具象化されたクリシェに他ならない。そこまでしてもなお抜け殻へと貶められた価値にこだわり続けるのであれば、かつての威光を目がけてさまよい続けるしかない。


しかし、あのマルジェラのニットもルイ・ヴィトンの財布も持ち主がいたはずだ。はたして人はどこに消えたのだろうか?


*1,『Pen』No.507「1冊まるごとコムデギャルソン」(阪急コミュニケーションズ、2012年二月)、39頁。写真はピーター・リンドバーグ氏撮影の物を転載した。

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