2012年6月22日金曜日

レビューへの回答編、山縣良和(writtenafterwards)インタビュー


展示会レポートを記事(物語り尽くすための展示会――writtenafterwards fashion photo exhibition “I find everyone 2011 5 / 5″)にしてから2週間弱。展示会場を訪れた山縣良和さんのもとへ直接伺い、解釈に対する回答を得ることができた。レポートもあわせて生の言葉にぜひ目を通してほしい。

 

もう一回、蘇らせるような感覚で 

 


―――去年のコレクションの際に2012年の55日という日付で写真を撮影されて今日この展示会をやられてますよね。普通のショーはその時だけで物語が終わってしまって商品が市場に出るまで続かないのですが、writtenafterwardsはショーから展示会までを通してそれを接続させようとしていると感じたのですが、どうでしょう?

山縣:僕は物語性を常に大事な要素としていて、それはwrittenafterwardsと名乗っているところにも『その後に書かれた』という名前として現れています。いつも意識的に作品そのものが物語の背後にあるものだということをやっていて。この展示会に関してもファッションにもうちょっと時間軸を取り入れたいなっていうことで一年後に日付を設定して、もう一回物語を蘇らせるような感覚でやりましたね。

―――具体的に着目したところなどは?

山縣:たとえば2012S/Sのショーでは「一年後のイメージするファッションをしてきてください」と参加者には伝えたんですけど、実際に一年後になって着たいか着たくないかはその人次第で。着たくないと思えばその人の心の変化を感じるし、それでも着たいと思ったらそれはそれでだし。自分がチョイスしたものを、つまり自分の感情の変化っていうものをさらにクローズアップさせるっていうことをやってみようと思って実現させました。

―――ありがとうございます。

山縣:展示会についてはそんな感じですね。


ファッションと批評の交わるところ


―――僕はwrittenafterwardsをファッション批評誌で知りました。そういう姿勢を見ているとリトゥンの物作りは批評に対して寛容なのかなと感じるのですが。

山縣:普通のデザイナーと比べたら寛容かもしれないですね。その方が盛り上がるだろうとか。最近は色んな意見が交わされて、色んな感情とか意見とが交差することによって活性化する部分があるなと感じていて。ファッションって好き嫌いとか、売れるか売れないかだけで判断されがちじゃないですか?

―――はい、そうですね。

山縣:だけど、それだけがファッションじゃないし。それだけの感情とかそれだけの意見だけでファッションシステムが作られていったら不健康になってしまうので。批評的な部分とか文脈的にデザインを捉えたらとか論理的に、倫理的にっていう色んな軸があった方が僕はファッションっていうものがそもそも健康的なんじゃかなと思っていて。そういう意味合いで様々な意見があってもいいかなって僕は思う。

―――健康的というのは人間の自然な姿に合うという意味でしょうか?

山縣:そうでもあるし、暴走しちゃいかんなと。今、ファッションシステムが暴走しがちなので言うんですけどね。システムが暴力装置になって社会を壊していく可能性もあったりすると思うので。そういうことも含めて、もっと色んな言論が入っても面白い、というぐらいが僕はバランスが良いのかなと。もちろんファッションから発せられる感情的な部分とか単純に好き嫌いっていう部分は僕も好きだしファッションの魅力だとも思う。だけど、それが行きすぎたところで社会的に不健康な業界とされていることは良くないと思うんです。このぐらい大きな業界なのでね。そういう気持ちです。

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